2011年10月25日

崎間門中を取材しました

今日は浦添市西原にある崎間門中を取材した。

崎間門中の初代は武仁で、現在浦添西原地区に約30〜40所帯おられる。

立ち口の武仁からすると約6代から7代ぐらいなる。

約7代で30〜40所帯に子孫が繁栄していることは
非常に繁栄している門中のひとつだ。

今まで平民の門中も何件も作成したが
6代だと子孫の末広がりは、だいたい5所帯が一般的だ。

だから6代で30〜40所帯の末広がり非常に多いほうだ。

今日は、西原の崎間門中の長老・比嘉正雄と
弊社のルポライターの知名直子さんと一緒に
崎間門中の初代・比嘉武仁の由来を知っているという
宜野湾市嘉数お住まいの伊波義男さんを訪ね
その由来を伺った。

崎間門中の元祖は、代々浦添ゆうどれの墓守を務め
明治の初め頃まで浦添ゆうどれの前に住居を構えていたが
明治以降は、宜野湾の嘉数に移ったようである。

嘉数に移ってから、伊波姓を名乗り
そこから、浦添西原に分家して比嘉姓を名乗るようになった。

西原の崎間門中は約30〜40所帯ぐらい子孫は繁栄しているが
そこの本家にあたる前佐喜真門中も同数の子孫がおられるようで

西原の崎間門中の系図が完成したら
宜野湾嘉数の本家筋も作成してくれと
依頼を受けた。


同じカテゴリー(平民の系図)の記事

Posted by 呉屋弘光 at 20:05│Comments(0)平民の系図
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。