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Posted by TI-DA at

2011年10月30日

新規の系図作成依頼がありました

読谷村在住の仲大家より、新規の系図作成依頼があり
今日契約書を交わした。

仲大家の系図は現在作成中だが、
今回は仲大家の奥さんの方から、
自分の実家の系図も作成してほしいとの要望があり
本日、自宅を訪問した。

大きなマンションの管理人で、仲大千咲琉球古典音楽研究所の
大きな看板が目立ち、すぐに探せました。

まだ若い奥さんですが、自分が所有するマンションの一角で
教室をもって、師匠として野村流の古典音楽を教えている。

旦那の仲大家はもともと八重山の出身、
おそらく仲大底の名字から、改姓して仲大に変ったと思います。

旦那のルーツは石垣の毛裔氏で、石垣では由緒ある士族だ。
沖縄本島にある毛氏池城殿内の系統で、
特に元祖の新城親方安基は有名です。
門中が保有する家譜も67冊もあります。

安基の三男安英が石垣の毛裔氏の立ち口(初代)と言われている。
石垣をはじめとする先島では「清明祭」はほとんど
行われませんが、
今年は4月23日(土)に一門で執り行われたようだ。

奥さんが野村流古典音楽をやっているとのことで
実は野村流古典音楽を立ち上げた人は
沖縄本島の池城殿内の分家筋にあたる
野村家であることを告げました。

そして、奥さんの実家が
住所が3700番地であることから
屋取り部落(士族が都落ちして創った集落)であるように思え
これからの調査が楽しみです。

早速、戸籍を取り寄せて調査を開始します。  


Posted by 呉屋弘光 at 19:49Comments(0)平民の系図

2011年10月28日

「おきなわのルーツ紀行」著者与儀喜美江さんと打ち合わせ

「おきなわのルーツ紀行」の著者の一人である与儀喜美江さんと会いました。

与儀さんは敬虔なクリスチャンで、
キリスト教について全く知識がなかった私に、
キリスト教を知るキッカケを与えてくれました。

以前に、
与儀喜美江著「おきなわルーツのルーツ紀行」の本を編集したときに
キリスト教で教える十字架の死がどのような意味があるのか
色々と質問をした。

世界的に広まっているキリスト教であるが
肝心な同じ同族であるユダヤ人達は
イエスをキリストとして受け入れない

イエスをキリストとして
受け入れないだけでなく
十字架刑で殺害した

私の頭は、
キリスト教に対する疑問がいっぱいで
この敬虔なクリスチャン与儀さんに
聞けば分かると思い何度も同じ疑問をぶつけた。

何度聞いても、
「自分はイエスの十字架に死よって救われている」の
一点張りで、私の納得のいく回答は何一つ得られませんでした。

そこで、私は尋ねました。

「あなた方クリスチャンは、
イエスを神の子だと言うが、
実際は、イエスを家畜並みに考えてないか

そう!

家畜、

世の罪を取り除く子羊とは

かつてユダヤ人たちが
自分の罪を贖うために
羊を生け贄に捧げたように
羊の代表品として
イエスを神の前に
生け贄として捧げたという意味か

しかし、

イエスが十字架に掛かって、
人間の罪を取り除いて
全ての罪人が救われる道を開いた
と説明するが、

そもそも人間は他人の罪を被ることができるのか
あるいは自分の罪を、全く関係ない人になすり付けて、
自分の罪の責任を逃れよういうのか

それがキリストの教える「救い」なのか

それは、全く持って悪どい
暴力団がやるやり方と同じでないか。

例えば、ある暴力団の組長が色々な犯罪を犯して
その罪を自分の手下に身代わりに
自首させ、手下に責任を負わせて
自分は、その刑から逃るようなものではないか

それのどこに神の愛があるというのか

それが、キリストの正義というものか

なんてクリスチャンは能天気な考えをしているのだろう。

疑問は次から次へとわき上がり
何らその疑問の解決できませんでした。

しかし、2年目にしてここ最近
その疑問に対する回答を得る事ができました。

私とクリスチャンとの間に
「罪に対する概念」が根本的に違っていることに
気がつきました。

そう!

同じものでも、

その人がどのような概念を持っているかによって
現実が全く違う形で見え
一方には怒りと憎しみが、
一方には喜びと感謝が生まれるという
不可解な現実に気づきました。

だから事実が問題ではありません。

事実を本人がどのように考え受け止めるかによって
まったく違うように見え、また違う感情がでてくる。

ですのでイエスの十字架の死も
それを、どのように受け止めるかによって
「救い」になるか「裁き」になるかに
分かれるという真実に気づきました。

2年間、この敬虔なクリスチャンに
キリストの愛がいかなるものか
議論を交わして来ましたが

ここにきて、私もようやくクリスチャンが見る十字架が
いかなるものか、良く見えるようになりました。

そこで、新約の福音を受け入れ
私も、その証として
洗礼を受ける決心をしました、

洗礼についての色々とお話を聞きました。

確かにクリスチャンの目線で見ると
イエスの十字架の死を見ると
神がいかなる方で慈愛に満ちた方だと
いうことが良くわかります。

来月4日に、宮古から
瑞慶山牧師が来沖されるので
その時に、洗礼を受けようと思っています。

与儀喜美江さん、色々と相談にのって頂き有り難うございました。

天の導き、神の恵みに感謝です。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:33Comments(0)洗礼

2011年10月25日

崎間門中を取材しました

今日は浦添市西原にある崎間門中を取材した。

崎間門中の初代は武仁で、現在浦添西原地区に約30〜40所帯おられる。

立ち口の武仁からすると約6代から7代ぐらいなる。

約7代で30〜40所帯に子孫が繁栄していることは
非常に繁栄している門中のひとつだ。

今まで平民の門中も何件も作成したが
6代だと子孫の末広がりは、だいたい5所帯が一般的だ。

だから6代で30〜40所帯の末広がり非常に多いほうだ。

今日は、西原の崎間門中の長老・比嘉正雄と
弊社のルポライターの知名直子さんと一緒に
崎間門中の初代・比嘉武仁の由来を知っているという
宜野湾市嘉数お住まいの伊波義男さんを訪ね
その由来を伺った。

崎間門中の元祖は、代々浦添ゆうどれの墓守を務め
明治の初め頃まで浦添ゆうどれの前に住居を構えていたが
明治以降は、宜野湾の嘉数に移ったようである。

嘉数に移ってから、伊波姓を名乗り
そこから、浦添西原に分家して比嘉姓を名乗るようになった。

西原の崎間門中は約30〜40所帯ぐらい子孫は繁栄しているが
そこの本家にあたる前佐喜真門中も同数の子孫がおられるようで

西原の崎間門中の系図が完成したら
宜野湾嘉数の本家筋も作成してくれと
依頼を受けた。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:05Comments(0)平民の系図

2011年10月23日

初めて日曜礼拝に参加しました

今日は日曜日。

初めて、うるま市にあるうるまバプテスト・コミュニティ・チャーチの
日曜礼拝に参加しました。

Rev.moon 理枝牧師がイスラエルと韓国に約一ヶ月ほど滞在され
昨日帰国されたとのことで、何か新しい情報があるかと
期待して参加しました。

今日の牧師のメッセージは「主の祈り」で
イスラエル、韓国の情報はありませんでした。

祈りのメッセージは
祈りとは神と人間が交流できる唯一の場であること
ただ祈りの姿勢は、当たり前のように
神の前に語りかけるのでなく
謙虚な気持ちで、話しかけることが重要であると指摘されました。

我々は、ついついに神に対し
不謹慎にも、これを祈ったから
神は完全であるから
全てを必ず叶えてくれる

いや、叶えなければ
それは神ではないと
思い上がった傲慢な態度になりやすい。

だから最も重要なことは
祈る姿勢、

いかに謙虚に
神に感謝とその喜びを
神に話しかけるようにしなさい。

神はどんな人の祈りも
真剣に耳を傾け
何を願っているのか
聞いている。

そして万能の神は
それら一人一人の望みを
叶える力をもっている。

牧師に祈って貰ったから
神が聞き入れるのでなく
一人一人の真心が
神に通じるとき
願いは叶えられる。

そして、イエスが使徒たちに教えた
神に対してこのように祈りなさいという模範的祈り
「主の祈り」がどのようなものかを
分かり易く説明してくれました。

メッセージを聞きながら
具志堅ムツ子さんが、色々な集会で紹介している
伊波普猷の沖縄口の「主の祈り」を思い出しました。

具志堅ムツさんは、祈りの大切を日々の生活の中から悟り
それを沖縄口で教えてくれているのだと
今更ながら感心しました。

ちなみに、球陽出版のトップページの
バックで流れている琉球賛美歌は
具志堅ムツ子さんの歌です。  


Posted by 呉屋弘光 at 19:40Comments(0)キリスト教

2011年10月22日

HPリニュアルオープンしました。

過去二年間使用してきたHPをこの度完全にリニュアルしました。

特にこの2ヶ月前から、県外からの問い合わせが相次ぎ、
全国的に反響が増えてきているように思えて
三ヶ月前から準備を進めて
今日、オープンとなりました。

特に力を入れたのは、斬新なデザインもさることながら
今までのHPが更新情報が発信できませんでしたが
今回ブログも開設して
日々の情報も発信していこうと思っています。

「沖縄の精神文化の原点を求めて」が弊社のモットーでしたが
一人の敬虔なクリスチャンとの出会いから
その原点が、ここにきて見え始めています。

その情報は、多くの沖縄県民に知って頂きたく
ブログを通して、より細かく情報を発信しようと思います。

沖縄の精神文化の原点が、ユダヤ教・キリスト教と多くの類似点があり
それが沖縄にとって何を意味するのか
それを探求するために、
私自身、洗礼を受けて
その記録をこの中に書き綴っていきたいと思います。

沖縄の精神文化の原点に関心ある方の
HPの訪問を心より歓迎します。

リニュアルに際して
トップページの画集の使用を許可して頂いた
新城喜一氏には、心より感謝しております。

新城画伯の絵には力があり、
沖縄人が忘れかけている精神文化の原点を
想起させる力があります。

そして、琉球賛美歌を提供して頂いた
具志堅ファミリーの皆さんにも
厚くお礼申し上げます。

沖縄口と音楽で神を賛美する方々が
活躍しておられること考えるとき
沖縄が本当に神の島、
神がこの沖縄を特別な想いで
見ておられるかを痛感します。

そして
デザインを担当してくれた株式会社・木立の
上原朋真をはじめとするスタッフの皆様
本当有り難うございました。

心より感謝します。  


Posted by 呉屋弘光 at 10:29Comments(0)案内

2011年10月21日

三浦綾子作「道ありき」のCDが届く

昨日、ハーベストタイムに注文していた三浦綾子作「道あるき」の朗読CDが届いた。

三浦綾子さんの代表作品といえば「氷点」だと思うが、
この「道ありき」の中には、彼女の信仰の原点ともいうべき内容が
記されている。

即ち、何故彼女がキリスト教の信徒になったのか
その経緯と、洗礼を受けたときの状況が
事細かに綴られている。

私も今までキリスト教が何を教えているのか
全然関心が無かったが、

CDを拝聴しながら
キリストの説く「愛」が何かを
しみじみと教えてもらった。

キリストの説く「愛」とこの世の「愛」では
方向性が全く逆であるように感じた。

全てを与える「愛」と全てを奪い取る「愛」である。

三浦さんは、終戦の時まで小学校の教員として7年間勤務していた。
そこには、子供達に教育を通して生きる力を与えているという喜びに
いつも満たされていた。

しかし、敗戦後、日本は米国に占領され
日本の国定教科書が間違っていると
生徒に間違っている箇所を墨で消すように
占領軍より指示を受け
それを生徒に伝えなければならない
辛い体験をした。

何を信じていいのか、
今まで絶対的に善と信じていたことが
ことごとく否定され、打ちのめされて
このまま教員として継続して勤務することが
虚しくなり、教員を辞めた。

それは、自分の教員生活を辞めたことだけではなく
生きることに何の意味があるのか
何をやっても結局、死に絶え、朽ち果ててしまう。
生きることに何の価値があるのか
生きる希望まで失ってしまった。

自暴自棄の生活が続いた。

もはや生きることに、何の希望も見出せなかった。
生きること全てが虚しく思えた。

ちょうどその頃、当時不治の病とされた肺病に冒される。

もはや生きる希望を持ってなかった三浦さんは
自分の人生はどうなってかまわないと平然と受け止め
いつ死ぬかということだけが頭にあった。
どうせすべては朽ち果てて何も残らないと考えた。

そして自殺未遂に陥る。

生きる希望を完全に失った三浦さんに
生きる希望の光を与えたのは、
幼なじみでクリスチャンの前川さんであった。  


Posted by 呉屋弘光 at 19:51Comments(0)キリスト教

2011年10月20日

系図作成依頼で宮城氏が来社

家系図を作成したいとのことで、宮城さんが訪ねてこられた。
国頭の与那の出身という。
三男の清志も一緒だ。

今年で83歳であられる宮城さんは、自分の代でまとめておかないと
次に世代に繋げることができなくなると憂いておられる。

自分たちは士族出ではなく、平民ではないかと言われる。
しかし、名前を見ると祖父の代より
代々「清」の字を名乗り頭に使っている。

氏集で調べてみたが
やはり宮城姓で名乗り頭に「清」の字がつく士族はいない。

今までの経験からすると
平民の場合、明治以降の調査となる。
戸籍を取り寄せ、平均6代ぐらいが調査可能である。

取りあえず申込書を記入して頂き
後ほど契約書を交わして
作業を進めることとした。

担当は弊社調査員の俊光君に任せることとした。  


Posted by 呉屋弘光 at 15:45Comments(0)平民の系図