2011年11月12日
崎間門中の世系図の校正が終わりました
本日、浦添市西原の崎間門中の世系図の校正が全て終わりました。
世系図とは戸籍謄本で調べた明治以降の人達を、
1頁に五代づつ書き入れ、分家筋の次男、三男は
すべて頁を変えて、この人はどこからの分家筋であるかを
ハッキリさせ、立ち口(各分家の初代)を明確にして
その家族構成を上から下に書き入れていきます。
そして、それを1冊の本としてまとめます。
ですので、単に系図といっても
一枚の紙に書かれたものではなく
何頁にもなる1冊の本になります。
沖縄では琉球王府時代より、
代々伝統系図として受け継がれてきており
明治12年の廃藩置県まで、
続けられておりました。
その沖縄の伝統を受け継ぎ
同じ様式で、系図を作成しています。
各所帯ごとに、頁を変えて書き入れていますので
それが何頁になるかによって
その一門の末広がりを
伺い知ることが出来ます。
通常、子孫の広がりは
その直系の当主の代数から
1を引いた数がその家系の末広がりになります。
たとえば、直系の当主が七代目であれば
7-1=6世帯という計算になります。
実際、ハワイに移民した1世の人達は
現在、四世〜五世まできておりますが
その子孫の広がりは
3〜4世帯ぐらいが一般的です。
今作成している崎間門中は
現在の当主で五代目、孫まで入れると
七代になります。
ですので、計算でいくと
7-1=6所帯ぐらいの末広がりに
なりますが、
実際、今世系図は60頁近くきています。
これは本家筋の家系は
約6所帯ですが、
分家筋も繁栄しており
一門全体では約60所帯になっています。
これを一所帯ごとに
本家に来てもらい、
いちいちチエックして書き入れる作業も
骨の折れることでしたが
今日で、すべての最終確認が取れました。
本家の方々に
本当にご苦労様でした。
これで、明治以降の一門の歩みが明確になり
一門の結束も深まり
子孫も増々、繁栄していくと思います。
崎間門中の増々のご発展と
ご繁栄を心より祈っております。
私自身、伝統系図を作成する過程で
色々と教えられ、勉強になりました。
有難うございました。
世系図とは戸籍謄本で調べた明治以降の人達を、
1頁に五代づつ書き入れ、分家筋の次男、三男は
すべて頁を変えて、この人はどこからの分家筋であるかを
ハッキリさせ、立ち口(各分家の初代)を明確にして
その家族構成を上から下に書き入れていきます。
そして、それを1冊の本としてまとめます。
ですので、単に系図といっても
一枚の紙に書かれたものではなく
何頁にもなる1冊の本になります。
沖縄では琉球王府時代より、
代々伝統系図として受け継がれてきており
明治12年の廃藩置県まで、
続けられておりました。
その沖縄の伝統を受け継ぎ
同じ様式で、系図を作成しています。
各所帯ごとに、頁を変えて書き入れていますので
それが何頁になるかによって
その一門の末広がりを
伺い知ることが出来ます。
通常、子孫の広がりは
その直系の当主の代数から
1を引いた数がその家系の末広がりになります。
たとえば、直系の当主が七代目であれば
7-1=6世帯という計算になります。
実際、ハワイに移民した1世の人達は
現在、四世〜五世まできておりますが
その子孫の広がりは
3〜4世帯ぐらいが一般的です。
今作成している崎間門中は
現在の当主で五代目、孫まで入れると
七代になります。
ですので、計算でいくと
7-1=6所帯ぐらいの末広がりに
なりますが、
実際、今世系図は60頁近くきています。
これは本家筋の家系は
約6所帯ですが、
分家筋も繁栄しており
一門全体では約60所帯になっています。
これを一所帯ごとに
本家に来てもらい、
いちいちチエックして書き入れる作業も
骨の折れることでしたが
今日で、すべての最終確認が取れました。
本家の方々に
本当にご苦労様でした。
これで、明治以降の一門の歩みが明確になり
一門の結束も深まり
子孫も増々、繁栄していくと思います。
崎間門中の増々のご発展と
ご繁栄を心より祈っております。
私自身、伝統系図を作成する過程で
色々と教えられ、勉強になりました。
有難うございました。
Posted by 呉屋弘光 at 20:30│Comments(0)
│平民の系図
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