2012年04月05日

改製原戸籍収得の勧め

昨日、高知県の宮城家より系図の注文がありました。依頼主は36歳の会社員。もともとは沖縄県国頭村奥の出身だが、現在は本籍地も高知県に移籍されている。おそらく何代か前に高知県に移住し、何代か経ってから本籍地も移したと思います。自分の代で調べられるのは整理して記録に残しておきたいとの事で、FAXでの申込です。

球陽出版は、沖縄県で家系調査もやっている唯一の出版社です。HPをリニューアルしてから、日本全国から沖縄県人会の方を中心に、問い合わせが増えてきました。

系図を作るときは、明治以前と明治以後に分けて調査を進めます。明治以後の調査は戸籍で調べます。それは本土も沖縄もやり方は同じで、明治から平成までだと、戸籍を取れば、だいたい6〜7代までは誰でも簡単に作れます。戸籍を整理してみれば分かる事ですが、1代の平均代数はだいたい25年で、平成24年を明治で換算すると145年になります。145÷25=5,8で、明治、大正、昭和、平成までに約6、7代の系図ということになります。

よく「戸籍だけで明治からの系図を本当に作る事が出来るのか」と質問される方がおられますが、簡単に誰でも作れます。

そういう質問をされる方は、戦後の戸籍だけを念頭に発言されていると思いますが、確かに戦後の戸籍だけでは作る事はできません。戦後の戸籍は、日本国憲法が制定されてから戸籍法が改正され、戦前にあった戸籍を改制して作り変えられております。今まであった戸籍を完全に作りかえて、作成されているのです。戦前の戸籍は、子、父母、祖父母、曾祖父母と四代まで一つの戸籍に記載されていました。ですから一つの戸籍をとればその親族の繋がりが簡単に分かるようになっていました。

しかし、戦後アメリカ型の民主主義が導入され、四代一つの戸籍に入れるのは封建的だとして、今まであった戸籍を全部バラバラにして、親と子しか載らないように作りかえております。ですから戦後の戸籍では、親と子しか載っていませんので、この親がどこから来たのか全く分からないのです。あるいは、この親とこの親は兄弟であると分かっていても、確かめようがないのです。親と子2代しか載らないように作られいるので、その上がどうなっているのか、戦後の戸籍では全く分からないという事です。

だから戦後の戸籍を戦前の戸籍と同じだと考えると、何故戸籍だけで明治以降の系図が作れるだと疑問が出てきます。戦後の戸籍は昭和23年から約10年かけて、戦前にあった戸籍を作りかえて、作制されたものです。ですから作りかえる前の戸籍、子、父母、祖父母、曾祖父母が一つに記載されている戸籍をとらなければ、親族の繋がりが全く分からないという事です。

日本は戦争に負けて、アメリカの指示に従って、戸籍も全部作りかえました。しかし、作りかえる前の戸籍は破棄処分したのでなく、80年間は役所で保管するように定めて、今役所で大切に保管しています。80年といっても、あっという間です。あと数十年もたてば80年がきます。今後、どのように保管継続するか決まっておりません。できれば今の内に、戦前にあった戸籍、戦後作りかえる前の戸籍(改製原戸籍)を各自で取って、系図を作って大切に保管されることをお勧めします。

ちなみに、系図の申込は球陽出版の公式HPで宜しくお願いします。

http://kyuyou-shuppan.com/index.html


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Posted by 呉屋弘光 at 08:42│Comments(0)平民の系図
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