2012年01月17日

新刊の打ち合わせ

宮古バプテスト教会の瑞慶山牧師より電話が入り、
東日本大震災の救援活動の帰りで、
昨日那覇に戻り宮古に帰る途中で5時まで時間があるとのことで、
急遽、泊の「とまりん」で会う事になった。

具志川バプテスト・コミユティ・チャーチのムーン理枝先生とも連絡済みで
理枝先生も同席されるとのことであった。

瑞慶山牧師と理枝先生には、去年より新刊の執筆を依頼しており
新刊の企画をお互い再確認する重要な機会となった。

2010年に与儀喜美江・小林ゆうこ共著「おきなわルーツ紀行」を発行したときは
著者と私の考えには大きな隔たりがあった。

著者の一人与儀喜美江さんは
沖縄の風習と聖書との関わりに拘りがあった。

一方、著名なルポライターでもある小林ゆうこさんは
沖縄のルーツに関心があった。

しかし、私の関心は
「ルーツ」でも「風習」でもなく
キリストの説く「救い」とは何かが
最も知りたかった内容であった。

そのことで、発行直前になって
色々とトラブルも発生した。

本のタイトルをどうするか
本の広告をどのようにするか
著者から数々の物言いがつき
最後になって、当初考えていた企画の趣旨が
ぼやけた形になって、私にとっては不満が残るものであった。

私が当初企画していたのは
キリスト教の痕跡が沖縄の風習にあるとか
あるいはユダヤ教の痕跡が沖縄の伝統行事の中にある、
と言うものではなく、

キリスト教の痕跡がユダヤ教の中にあり
またユダヤ教の痕跡がキリスト教の中にあり

もともと同じ神からでたひとつの教えである。
旧約と新約はひとつであり、ひとつの神である。

沖縄の風習には
ユダヤ教、キリスト教が本来はひとつであることを示す痕跡がある。
沖縄の伝統精神「イチリバチョデー」もそれを雄弁に物語っている。

それこそが沖縄が世界に向けて発信すべき
重要なメッセージである。

私は企画書にそうように書き、著者にはそのように提示した。

しかし、私の企画は著者に十分に伝わらず
ユダヤ教、キリスト教の認知度は日本では低いから
それは一般受けしない。

それよりもユダヤと沖縄の類似性を強調して
まずは一般読者に関心をもってもらうことから
始めようとの著者の要望に応える形に
途中で変ってしまった。

そこで、私は独自に中川健一牧師のセミナーのDVDを取り寄せ
毎朝メッセージステションのネットを見ながら
キリスト教の勉強をした。

そこで初めてキリストとは何か、十字架と新約の福音が何であり
新約の奥義が何であるか知ることなった。

11月27日に洗礼も受けて
クリスチャンとなった。
そしてキリスト教で説く「救い」が何であるか
ハッキリと自覚できるようになった。

今回進めている企画は
キリスト教の説く「救い」が何であるのか
それを明確にするものとしたいと思っている。

幸いのことに、今回の企画では
著者と私の間に意見の相違は全くない。

ムーン理枝牧師も瑞慶山牧師も
ともに祈りに導かれて
お互いの持っている賜物を
今日の話しで確認することができた。

もうすぐ細かい内容も公開できると思うが
今日の打ち合わせは
まさに神の臨在を感じさせるものであった。


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Posted by 呉屋弘光 at 22:05│Comments(0)お知らせ
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