2012年03月20日

問われるのは、主体性と責任の所在だ

引き寄せの法則で私が一番感動したのは、「貴方は人生の創造主である」という宣言であった。

今まで人生は自分の預かり知らない所で展開され、自分の意志ではどうすることもできないと思い込んでいた。しかし、人生の創造主は自分自身であり、自分の許可なくして、いかなることも自分の前に起こる事はない。自分の目の前で起こっている事は、すべて過去に自分が承認したものばかりであるという内容に驚かされた。

そう!今まで考えた事もない。

借金で悩む人は、借金で悩むことを自分が許した。

男女関係で悩む人は、男女関係で悩むことを自分が許した。

人間関係で悩む人は、人間関係で悩むことを自分が許した。

自分の目の前で起こっている出来事は、自分がそのように選択した結果だという。

自分の許可がなければ、自分の目の前に、人も金も情報もいかなるものも現れる事はできない。

この真理が理解できたとき、私はまさに目から鱗、人生のターニングポイントを迎えたように思えた。

すべて今まで逆に考えていたことに気づかされた。このことが理解できなった時は、すべて逆に物事を考えた。借金で悩む人は、収入が少ないからその結果だと思った。問題はすべて外にあると考えた。

しかし冷静に考えると、自分が収入は少なくてもいいと思うから、収入が少ない状況に追い込まれるのである。だからと言ってそれが借金に直結する訳ではない。自分が借金してその場を凌ごうとしたから、借金ができたのであって、収入とは関係ない。自分が判断を下したから借金ができたのである。

物事のひとつひとつが自分の選択の結果でありながら、人は自分の外の環境に責任を転嫁する。そして自分の責任を認めたがらない。自分が望んだから、自分がそれを許したから、そのような結果が出たとはけして認めない。しかし、引き寄せの法則を学ぶうちに、自分が自分の人生の創造主であると知らされ、自分の人生は自分が決定していいんだと嬉しくなった。

人間は自分の主体性を発揮して、自分の人生はこのようにしたいと明確なる目標を出した時に、はじめて自分の外の環境をコントロールできるのであり、そこで自分の創造性を発揮して、自分のほしいものはすべて引き寄せることができる。そしてそれを管理することができる。いやむしろ環境を管理するように人はつくられている。金、人脈、情報、知識は外の環境であって、その環境を管理するのは自分自身である。

環境を管理できない人は、逆に環境に支配される。

いや、今は金がないから、情報がないから、人脈がないから、才能がないから、と自分の主体性と責任を放棄して、何故できないかの理由を探し求める。言い訳を始め、責任を放棄したことを正当化しようと必死になる。

しかし、よく考えてほしい。

環境は自分に材料を提供しているだけである。その材料を使ってあなたは何がしたいのかと言っているのである。

金がない、だからそれがどうしたの。

人脈がない、だからそれがどうしたの。

才能がない、だからそれがどうしたの。

学歴がない、だからそれがどうしたの。

ということになる。

お金の有無が問題ではない、人脈の有無が問題ではない、才能の有無が問題ではない、学歴の有無が問題ではない。それらの目の前の材料を通して、あなたは何がしたいのかが問われている。

人間は神の形に創造それており、神に似せて男と女とに創造されている。神が森羅万象を創造されたように、人間ひとりひとりも目の前の材料をどのように自分の人生に活かせていくか、その創造性を神ご自身が期待し、楽しみにしておられる。そして創造の喜びをともに分ち合いたいと願っている。

私は、系図作成を通して、環境が問題ではなく、本人の主体性、そして自分が絶対つくるんだとう責任をもつと、環境が整えられることを何度も見てきた。お金がないといえば、お金をサポートする人が現れ、知識がないといえば、情報をメモした資料がでてきたりと、色々な経験を積みながら、環境は問題ではなく、本人の主体性、そして自分が責任を持つと宣言すると、必ず運命は開けるものだと確信している。そして、人生のあらゆる分野に適応できると信じている。


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Posted by 呉屋弘光 at 21:18│Comments(0)私の人生哲学
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