2012年01月10日

2012年度の家系調査は今日から開始

新年を迎えて、今日から調査が再開しました。
今日は首里士族の馮氏諸見里家を訪問しました。

馮氏の諸見里家は馮氏最初の分家筋にあたり
分家筋初代の安道から三代目安長から子孫が広がっています。
安長の次の代から長男腹、二男腹、三男腹、四男腹、五男腹と
沖縄全島に子孫が広がっています。

ちなみに長男腹、二男腹、三男腹が具志川に子孫が集中しており
具志川諸見里と呼ばれています.

四男腹は出家して、仏の道を歩み子孫はいません。

五男腹は北谷諸見里と呼ばれ
北谷を中心に沖縄市、北中城、西原町、那覇市、糸満、東風平と
子孫が繁栄しています。

六男腹は与那原諸見里と呼ばれ
与那原町を中心に、子孫が多くいますが
中元屋がブラジルに移民し
初代の位牌もブラジルに祀られているようです。

馮氏には神人と呼ばれる人達が何名かいて
「自分達は、池城毛氏とも関係があり、久米島の上江洲家とも
関わりがある」と言っていました。

その理由を聞くと
池城殿内の毛氏は首里士族でも由緒ある一門で
多くの三司官を排出しているが
子孫の名乗り頭は「安」を使っている。
馮氏の子孫も名乗り頭「安」である。

名乗り頭がたまたま一致しているから
何か関係があると結論づけるのは
問題があるのでは、最初問い合いませんでしたが
調査が進むにつれ
神人がいうのも一理あることに気づきました。

それは、馮氏には
自分達は大里王子の子孫であるとの
言い伝えがあり
その人が誰を指すのかハッキリしませんでした。

しかし、今回の調査で
大里王子は尚真王の二男であることが判明しました。

そう!沖縄の古琉球と呼ばれた時代
最も栄えた黄金時代を築き上げた
第二尚氏王統、第三代目国王尚真王です。

その人の子どもが大里王子です。

最初は、依頼人の安栄さんからは
自分達は尚家とも関わりがあると言われているが…。
と尋ねられても
どこでどう繋がっているか
ハッキリしませんでした。

しかし、今回の調査で
その謎が解けました。

池城殿内の毛氏は、
尚真王と今帰仁のノロとの間にできた子安基が
元祖になっています。

しかし、家譜には
安基の父母は誰か知らずと記載され
一方一門の子孫には
安基の父親は尚真王であると
ハッキリ伝えられています。

ノロが子を宿すことは
御法度でけして公にすることはできません。

そこで、その子に氏を与え
名乗り頭には「安」を与えて
無事に育つ事を願って
養育したから
王府の要職につくようになったのでないか。

それと全く同じように
今度は尚真王の子ども(二男・大里王子)が
ノロとの間に子ども出来
父親の例に習って
氏を与え、名乗り頭には「安」を与えて
その子孫の行く末を
守ったのではなかろうか。

そして、不思議なことに
馮氏諸見里家の子孫は
家譜を読むと
ほとんどの人が大美御殿に勤務している。

大美御殿は聞得大君が琉球の祭祀行事を
執り行っていた所であり
そこに務めることができるのは
その血筋の者が優先されることは言うまでもない。

家譜と照らし合わせてみると
池城殿内と馮氏が繋がりがあることが
少しづつ明確になってきた。
今月中には馮氏諸見里家の系図も完成させたいと思う。


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Posted by 呉屋弘光 at 22:05│Comments(0)首里士族
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