2011年12月15日

馮氏諸見里家三男腹の聞取り調査をしました

今日は、馮氏諸見里家の三男腹の末裔である諸見里誠一さんに会って、門中の話しを聞きました。
馮氏は首里士族と那覇士族とがありますが、首里士族は名乗り頭は「安」、
那覇士族の名乗り頭は「清」が使われていますので
すぐに区別がつきます。

今調査している馮氏は、首里士族で一門は名前の最初の一字には「安」が使われていますが
誠一さんはブラジル帰りで、名前に「安」は使われておりません。

具志川には三男腹の一門の多くのが栄えており
具志川の諸見里姓で「安」がつくのは
首里士族の馮氏の子孫です。

門中の御神屋は江洲城のすぐ近くにあり
三男腹と五男腹の方々が、交互に管理しているとの事。

三男腹は具志川と沖縄市に子孫が点在し
五男腹は北谷、糸満、東風平、南風原に集中している。

門中では大里王子の子孫であるとの
言い伝えがあるが、その大里王子が誰であるか
ハッキリしなかった。

しかし、今までの調査から
大里王子は尚真王の二男であることが判明した。
依頼者の諸見里安栄は自分達は第二尚氏と関係があると聞いている
そこを正確に調査してほしいとのことであった。

これまで、具志川・北谷・首里・糸満・東風平・南風原の諸見里家を
聞取り調査し、家譜と照らし合わせると
大里王子朝栄が馮氏の元祖であることが
ハッキリした。

しかも何故家譜にも
これほど重要なことが公にされなかったのか
その謎も解けた。

今年中には、元祖から現在の人達まで
すべてが繋がりそうで、完成するのが楽しみだ。


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Posted by 呉屋弘光 at 19:54│Comments(0)首里士族
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