2011年10月21日
三浦綾子作「道ありき」のCDが届く
昨日、ハーベストタイムに注文していた三浦綾子作「道あるき」の朗読CDが届いた。
三浦綾子さんの代表作品といえば「氷点」だと思うが、
この「道ありき」の中には、彼女の信仰の原点ともいうべき内容が
記されている。
即ち、何故彼女がキリスト教の信徒になったのか
その経緯と、洗礼を受けたときの状況が
事細かに綴られている。
私も今までキリスト教が何を教えているのか
全然関心が無かったが、
CDを拝聴しながら
キリストの説く「愛」が何かを
しみじみと教えてもらった。
キリストの説く「愛」とこの世の「愛」では
方向性が全く逆であるように感じた。
全てを与える「愛」と全てを奪い取る「愛」である。
三浦さんは、終戦の時まで小学校の教員として7年間勤務していた。
そこには、子供達に教育を通して生きる力を与えているという喜びに
いつも満たされていた。
しかし、敗戦後、日本は米国に占領され
日本の国定教科書が間違っていると
生徒に間違っている箇所を墨で消すように
占領軍より指示を受け
それを生徒に伝えなければならない
辛い体験をした。
何を信じていいのか、
今まで絶対的に善と信じていたことが
ことごとく否定され、打ちのめされて
このまま教員として継続して勤務することが
虚しくなり、教員を辞めた。
それは、自分の教員生活を辞めたことだけではなく
生きることに何の意味があるのか
何をやっても結局、死に絶え、朽ち果ててしまう。
生きることに何の価値があるのか
生きる希望まで失ってしまった。
自暴自棄の生活が続いた。
もはや生きることに、何の希望も見出せなかった。
生きること全てが虚しく思えた。
ちょうどその頃、当時不治の病とされた肺病に冒される。
もはや生きる希望を持ってなかった三浦さんは
自分の人生はどうなってかまわないと平然と受け止め
いつ死ぬかということだけが頭にあった。
どうせすべては朽ち果てて何も残らないと考えた。
そして自殺未遂に陥る。
生きる希望を完全に失った三浦さんに
生きる希望の光を与えたのは、
幼なじみでクリスチャンの前川さんであった。
三浦綾子さんの代表作品といえば「氷点」だと思うが、
この「道ありき」の中には、彼女の信仰の原点ともいうべき内容が
記されている。
即ち、何故彼女がキリスト教の信徒になったのか
その経緯と、洗礼を受けたときの状況が
事細かに綴られている。
私も今までキリスト教が何を教えているのか
全然関心が無かったが、
CDを拝聴しながら
キリストの説く「愛」が何かを
しみじみと教えてもらった。
キリストの説く「愛」とこの世の「愛」では
方向性が全く逆であるように感じた。
全てを与える「愛」と全てを奪い取る「愛」である。
三浦さんは、終戦の時まで小学校の教員として7年間勤務していた。
そこには、子供達に教育を通して生きる力を与えているという喜びに
いつも満たされていた。
しかし、敗戦後、日本は米国に占領され
日本の国定教科書が間違っていると
生徒に間違っている箇所を墨で消すように
占領軍より指示を受け
それを生徒に伝えなければならない
辛い体験をした。
何を信じていいのか、
今まで絶対的に善と信じていたことが
ことごとく否定され、打ちのめされて
このまま教員として継続して勤務することが
虚しくなり、教員を辞めた。
それは、自分の教員生活を辞めたことだけではなく
生きることに何の意味があるのか
何をやっても結局、死に絶え、朽ち果ててしまう。
生きることに何の価値があるのか
生きる希望まで失ってしまった。
自暴自棄の生活が続いた。
もはや生きることに、何の希望も見出せなかった。
生きること全てが虚しく思えた。
ちょうどその頃、当時不治の病とされた肺病に冒される。
もはや生きる希望を持ってなかった三浦さんは
自分の人生はどうなってかまわないと平然と受け止め
いつ死ぬかということだけが頭にあった。
どうせすべては朽ち果てて何も残らないと考えた。
そして自殺未遂に陥る。
生きる希望を完全に失った三浦さんに
生きる希望の光を与えたのは、
幼なじみでクリスチャンの前川さんであった。
Posted by 呉屋弘光 at 19:51│Comments(0)
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