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2012年04月09日

思いもよらぬギフトが西口賢治さんより届きました





先日、西口賢治さんより、またしても思いもよらぬギフトが届きました。月桃紙に描かれた絵画と詩です。中城グスクに浮かぶ満月とそれに詩が添えられています。

詩には、こう書かれています。

門中家屋を祀り
光を弘(ひろ)め呉(あた)えて
子孫繁栄して
成幸する

「成幸」するという所がいいですね。
成功でなく、成幸です。

成功とは功績が成ると解せます。

人は「功績」を追い求め、自分の「功績」を認めてもらうため
努力するが、ややもすると肝心の自分自身を見失ったままです。

いかなる「功績」も
自分自身を失った「功績」では何の意味もありません。

何の価値もありません。

単なる自己満足の「功績」は
自分に希望も夢も与える事は出来ません。

自分自身に対する誇りすら与えることはありません。

少しでも困難に会うとすぐに自信喪失し、
自己嫌悪に陥ってしまいます。

我々が求めるべきものは「功績」ではなく
まずは「幸」であるべきです。

幸せになりたいから、
幸せになってもらいたいから
日々の生活があるはずです。
何か特別な「手柄」をあげるために
生きているのではありません。

目先の「手柄」だけに翻弄される人生は
もう止めましょう。

中城グスクの城壁の夜空に浮かぶ
月を見ながら、
今自分がどういう歩みをしているか
考えさせられてしまいました。

西口さん、心温まる力強い作品本当に有り難うございました。

私の家の家宝として、事務所に飾り、
自分の心を日々磨いていきたいと思います。

タイムリーなギフトです。本当に感謝です。
メッセージはしかと受け止めました。

小波津智恵美さんの分も、昨日手渡しました。
とても喜んでおりました。

不思議な出愛に感謝だと話しておりました。  


Posted by 呉屋弘光 at 19:08Comments(1)お知らせ
 

2012年04月08日

門中の神御清明に行ってきました





4月8日は清明の節に入って最初の日曜日です。私の所属している西原町の仲伊保門中は、1992年に門中会が結成され、門中の清明祭は清明の節入後の最初の日曜日と決め、今日がその日です。門中会ができてからは、毎年案内のハガキが届き、日程も詳しく書いてあるので、若い世代もだいぶ増えてきたように感じました。

門中会が出来た時に系図も作成しましたが、県内・県外で約80所帯、国外、南米・北米・ハワイ等にも40所帯ほどあり、全体で120所帯ほどありました。案内は県内に住んでいる方々約60所帯に出しているとおもいます。仲伊保門中は北山最後の王、攀安知王の三男の子孫だと伝えられております。


今回清明祭に参加したのは約40名ほど、各所帯別に車に分乗して、車十数台連ねていきました。廻る所は6ヶ所で、朝9時に仲伊保本家を出て、最後の参拝地今帰仁墓を拝み、西原慰霊塔の広場で、お供え物をウサンデーして現地解散します。具体的に廻る場所は、以前に記事に書きました。今回の清明祭は、首里の方から大城秀一さん家族が見えられ、非常に賑わったものとなりました。


そして今回は東京から珍しいお客さんが来られました。松尾あずささん、法政大学大学院人文科学研究科修士課程2年生。東京生まれ、東京育ちで、沖縄の門中に関心があるとのことで、球陽出版のHPから取材の申入れがあり、私の方から門中の当主大城純孝さんを紹介し、直接清明祭の行事に参加することになりました。取材の中で当主の大城純孝さんの大学の後輩でもあることが分かり、門中の役員の許可も出て今日の参加となりました。

20年前に復帰20周年の国特別事業として、首里城が復元され、NHKの大河ドラマに「琉球の風」も決定し、沖縄ブームが始まりました。

私はあの時、思いました。

今はただ沖縄の外の形に人々の目が奪われているが、いつか沖縄の内面の部分、何故沖縄が一致団結して県民が誇りをもって歩んでいるのか、その精神性の部分に目を向ける人達が出てくる。その頃から系図作成を始めましたが、今日来ている若い世代を見て、私が先輩方から伝え聞いたのは、私の代でしっかり語りつがなければならないと、つくづく思いました。

松尾さんのような方はこれからもどんどん現れると思います。沖縄大好きで、何かしら沖縄に魅かれるという人、以外と沖縄の地元の人間が沖縄の本当の良さをまだ認識してないかと思われました。



そして、仲伊保門中の現在の14代目当主大城純孝さんが6月の県議選に出馬することも報告されました。去年の12月に急に決まったようで中頭地区から出馬します。定員5名に対し6名が立候補します。仲伊保門中でも門中の誇りとして応援しようと会長の大城進一さんから呼びかけもありました。仲伊保門中も今新たな一歩を踏み出し、例年になく活気に満ちた清明祭になりました。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:53Comments(2)門中の伝統行事
 

2012年04月07日

馮氏諸見里家に系図の調査結果を報告しました

昨日は馮氏諸見里家の代表の方々を、糸満武富に集まって頂き、今まで調査してきた諸見里家の系図調査の報告をしました。馮氏は首里士族と、那覇士族がありますが、今調査しているのは首里士族の諸見里家です。ちなみに首里士族系統の馮氏は、名前の最初に「安」の一字が使われております。一方、那覇士族の馮氏は、名乗り頭は「清」です。ですから区別はすぐにつきます。

集合して頂いたのは糸満武富の安次さん宅です。安次さんは、野村流古典音楽協会の副会長の要職も務められ、三味線教室も開いておられますので、教室の中で報告会が行われました。




糸満市武富は明治になって士族の方々が住みついてできた集落で、一般にヤードイ(屋取り)部落と呼ばれています。地番は糸満ですが、東風平と豊見城と両方に股がって境界線が隣接しています。これは安次さん宅から見た風景で、遠くに見えるのは豊見城市です。





当日は安栄さんより、今までの調査経過が報告されました。安栄さんは諸見里家の実力者で、現在の諸見里ポートリー創業者です。沖縄を代表する養鶏業の要職も数々担ってこられました。1年間、私と一緒に役所、そして分家筋を一軒一軒訪ね歩き、馮氏の全体像をまとめて下さいました。馮氏一門は沖縄全県的な子孫の広がりを見せており、具志川、久米島、沖縄市、北谷町、宜野座村、那覇市、糸満市、与那原町と多くの地域にまたがっております。

子孫が全県的にまたがっている為に、元祖諸見里安春からどのように末広がっていったのか、宗家ですらハッキリつかんでおりませんでした。そこで諸見里家の家譜を、大学教授に一字一句現代文に訳してもらいました。今では元祖から始まって、子孫がどのように末広がって行ったのか、ハッキリ分かります。糸満に島尻諸見里として、どのように辿ってきたのか、糸満に移ってからの生活がいかほど苦労してきたものか、切々と語られました。そして、自分は子孫の歩みを皆さんに正しく理解して貰いたいとの思いで、必死に調べてきた。祖父、曽祖父がいかに苦労して、ここまで我々を守ってきてくれたか、少しでも感じてもらいたいと話されました。





最後に、球陽出版の家系調査員知名直子さんより、武富集落のヤードィと島尻諸見里との関係を、糸満市史と字史から調べた内容が報告された。東京生まれ、東京育ちの彼女ですが、集まった人達より、ヤマトゥで言葉の壁もあるのに、よく調べてくれたと皆さん感心しておりました。

本当にそうです。

球陽出版の家系調査も彼女が来てから、だいぶ変りました。以前の系図調査はほとんどが士族中心で、まず氏(うじ)を調べ、家譜が現存するかどうかを、那覇市歴史博物で調べました。そして、その士族と関係ありそうな名前を電話帳で一軒一軒調べ、聞取り調査で作業を進めました。正直な話、平民の場合、どこからどういう具合で調査すれはいいのか、不安な部分がありました。

しかし、直子さんは沖縄市の嘱託職員として、地域史を担当した経験があり、色々な方からの聞取り調査をやっておりました。そのため平民の資料も、各市町村史あるいは字誌に細かくまとめられており、平民の調査も字誌を活用すれば充実した調査が可能であることを教えてくれました。お陰で球陽出版の系図調査も幅が広がりました。  


Posted by 呉屋弘光 at 19:31Comments(1)首里士族
 

2012年04月05日

改製原戸籍収得の勧め

昨日、高知県の宮城家より系図の注文がありました。依頼主は36歳の会社員。もともとは沖縄県国頭村奥の出身だが、現在は本籍地も高知県に移籍されている。おそらく何代か前に高知県に移住し、何代か経ってから本籍地も移したと思います。自分の代で調べられるのは整理して記録に残しておきたいとの事で、FAXでの申込です。

球陽出版は、沖縄県で家系調査もやっている唯一の出版社です。HPをリニューアルしてから、日本全国から沖縄県人会の方を中心に、問い合わせが増えてきました。

系図を作るときは、明治以前と明治以後に分けて調査を進めます。明治以後の調査は戸籍で調べます。それは本土も沖縄もやり方は同じで、明治から平成までだと、戸籍を取れば、だいたい6〜7代までは誰でも簡単に作れます。戸籍を整理してみれば分かる事ですが、1代の平均代数はだいたい25年で、平成24年を明治で換算すると145年になります。145÷25=5,8で、明治、大正、昭和、平成までに約6、7代の系図ということになります。

よく「戸籍だけで明治からの系図を本当に作る事が出来るのか」と質問される方がおられますが、簡単に誰でも作れます。

そういう質問をされる方は、戦後の戸籍だけを念頭に発言されていると思いますが、確かに戦後の戸籍だけでは作る事はできません。戦後の戸籍は、日本国憲法が制定されてから戸籍法が改正され、戦前にあった戸籍を改制して作り変えられております。今まであった戸籍を完全に作りかえて、作成されているのです。戦前の戸籍は、子、父母、祖父母、曾祖父母と四代まで一つの戸籍に記載されていました。ですから一つの戸籍をとればその親族の繋がりが簡単に分かるようになっていました。

しかし、戦後アメリカ型の民主主義が導入され、四代一つの戸籍に入れるのは封建的だとして、今まであった戸籍を全部バラバラにして、親と子しか載らないように作りかえております。ですから戦後の戸籍では、親と子しか載っていませんので、この親がどこから来たのか全く分からないのです。あるいは、この親とこの親は兄弟であると分かっていても、確かめようがないのです。親と子2代しか載らないように作られいるので、その上がどうなっているのか、戦後の戸籍では全く分からないという事です。

だから戦後の戸籍を戦前の戸籍と同じだと考えると、何故戸籍だけで明治以降の系図が作れるだと疑問が出てきます。戦後の戸籍は昭和23年から約10年かけて、戦前にあった戸籍を作りかえて、作制されたものです。ですから作りかえる前の戸籍、子、父母、祖父母、曾祖父母が一つに記載されている戸籍をとらなければ、親族の繋がりが全く分からないという事です。

日本は戦争に負けて、アメリカの指示に従って、戸籍も全部作りかえました。しかし、作りかえる前の戸籍は破棄処分したのでなく、80年間は役所で保管するように定めて、今役所で大切に保管しています。80年といっても、あっという間です。あと数十年もたてば80年がきます。今後、どのように保管継続するか決まっておりません。できれば今の内に、戦前にあった戸籍、戦後作りかえる前の戸籍(改製原戸籍)を各自で取って、系図を作って大切に保管されることをお勧めします。

ちなみに、系図の申込は球陽出版の公式HPで宜しくお願いします。

http://kyuyou-shuppan.com/index.html  


Posted by 呉屋弘光 at 08:42Comments(0)平民の系図
 

2012年04月04日

西口賢治さんよりお礼の品々が届く





ブログに私の書いた記事で「引き寄せの法則」のDVDがどういうものか知りたいとの問い合わせが、チャリティー遊書展で活躍されている西口賢治さんよりあり、貸し出し用に手元にあることを伝え、郵送して見て貰った。早速、西口さんから数々のメッセージと色紙、365日年中夢求の本が送られてきた。ただただ感謝である。言葉の持つ力を改めて教えられたような気がする。

西口さんは同じてぃだブロガー仲間だが、いつも上位にランクされ、アクセスも多いときは500件以上ある。私は後ろの方から数えた方が早いアクセスしかないが、わざわざ目に止めて下さり、コメントも寄せて、読者登録もされた。この謙虚さと、誠実さにいたく感動し、私も西口ファンになった。

年中夢求、素敵な言葉だ。年中無休とは大違いだ。年中無休だと365日休みがなく、哀れで恨みだけの人生に聞こえる。年中夢求だと発音は同じでも、365日夢に向かって生きているという躍動感がこちらまで伝わってきる。言葉もその人がどういうイメージをもっているかによって、自分にわき上がってくる感情が全く違ってくる。

私が「365日年中夢求」の言葉を最初に目にしたのは、吉澤直美さんのブログであった。素敵な言葉使いで、毎日の生活が楽しくなるようなイメージを与えてくれるものだと感心していた。それが、思いも寄らぬ出会いから、その言葉を創った西口さんとブログで直接知り合う事になり、本当に驚きである。吉澤さんが西口さんのファンクラブの会長をやっておられるのは後で知った。

お礼の品の中に永六輔さんの詩も西口さん筆による色紙も入っていた。おそらく、私に必要な言葉を真剣に考えて、書いて送って下さったと思うが、いつも相手の立場に立って歩まれる西口さんの誠実の人柄が、こちらに良く伝わり、とても嬉しくなった。

今、新刊の野津唯市画集の本が出て、命とは何か考えさせられる事が多くなった。このようなタイミングで西口さんから頂いた数々のメッセージは本当に有り難い。人の命の輝きは、その人のために何か役立つことをやってあげたいと思ってやる時に、その人の命が輝くものであることをお礼の品々を見て教えられた気がする。

西口さん、心のこもったお礼の品々、有り難う。

本当に、出愛に神謝です。  


Posted by 呉屋弘光 at 07:14Comments(4)お知らせ
 

2012年04月03日

小林ゆうこさんと野津唯市画集で意見交換



東京から取材のため小林ゆうこさんが来沖され、球陽出版で発行した野津唯市画集について、色々と意見交換した。小林さんは大の沖縄ファンで、沖縄には何度も足を運んでおられる。特に沖縄のルーツに関心が高く、天孫子王朝のルーツと日本の神話との繋がりを積極的に取材しておられる。私とは「おきなわルーツ紀行」を2年前に発行してからのお付き合いである。

ゆうこさんには今回、野津唯市さんの画集を発行するにあたって、取材の合間を計らって、編集も手伝ってもらった。

画集の出版計画は2年ほど前からあり、山辺の茶屋店主・稲福米子が野津唯市さんに働きかけをしていた。しかし、なかなか話が進まない。そこで1年ほど前に、球陽出版に画集を出したいとの相談があった。山辺の茶屋では、野津さんの常設ギャラリーが約40点の絵が展示されている。県内だけでなく、県外、国外からも多くのお客が訪れる。

野津さんの作品を見た人は大きな衝撃を受けるようだ。中には鳥肌が立つほど感動したと感想を残される方もいることを聞き、この作品のどこにそのような力があるのか、その魅力を知るために、画集の出版を手伝おうと決意した。関わるうちに、野津さんの作品の持つ魅力がどこにあるか、少しづつ見えてきた。

野津さんが言う「単なる画集を出したいのではない」という意味が分かってきたような気がする。

そう!単なる画集ではない。

作品のひとつひとつを良く良く見ると、単なる風景画ではない、単なる人物画でもない、そこに生きている命が描かれている。されは単なる命ではなく、輝ける命である。自然が、そこに暮らす一人一人が生き生きしている。その躍動感が見る人を熱くし、そこに希望と夢があることを知る。

そうか、命は単独では輝くことなく、他との関わりの中で初めて喜びと希望に抱き、生き生きとする。

昔流行った「愛染かつら」の2番目の歌詞に、「かわいい子どもは、女の命」というのがあった。

私は当時小学生だったので、ストーリーの内容はよく分からなかったが
たしか医師と看護婦の純愛物語ではなかったと思う。母親はいつも、食い入るようにテレビに釘付けになって見ていた。

今、野津唯市さんの画集を発行して「かわいい子どもは、女の命」の言わんとする意味が分かったような気がする。

母子家庭で小さなこどもを抱えて、この子のために自分の持てる全て使って
この子が安心して暮らせるように、自分のすべて捧げたい、
という事ではないかと思う。

輝ける命とは、まさに生き生きとした命、
この子のためにこういうことをしよう
こういうこともして、喜ぶ姿を見たいという生き方が
その人を輝かせるものだと思う。

そういう人は、側から見ていて生き生きとしている。

自分が必要とされているから
その必要に積極的に満たしたいという思いが
その人を生き生きとさせるのでは、
ないだろうかと思う。

現代人が抱える閉塞感は
自分はこの世から必要とされてないとする疎外感
どこに自分を必要としている所があるのか
それを探し出す事ができず
苦悶している姿ではないだろうか。

しかし、野津さんの描き出す命は、一人一人がいきいきとしている。

私にも微かに面影があるが、
地域にもひとりひとりに存在感があった。

この人は、こういう性格の人だが、こういう良い所を持っている。
と頭の善し悪し、金のあるないに関わらず
お互いがひとつに解け合っていた。

それは懐かしい昔の面影だが、
しかし本来の人間のあるべき姿ではなかろうか。

だから、今回の画集のタイトルも「懐かしい未来 沖縄」にしている。
これは米子さんがつけたタイトルだが、私も非常に気に入っている。

我々が目指すべき未来は、私達の心の奥底に眠っている。
素晴らしい未来が待っているのでなく、
我々の心の奥底に既にそれがあり
生き生きとした未来は既に持っていることに気づくだけである。.

この作品を今の時期に発行できたことは
私にとって、この上ない光栄である。

私自身、この作品を世に流通させることにより
少しでも命の輝きを感じてもらえる手助けができた
と、心が踊るような気持ちである。

野津さん、米子さん、編集を手伝ってくれた小林ゆうこさん、
輝ける命を有り難う。

感謝です。

私は幸せものです。

このような素晴らしい仕事にかかわることが出来て。  


Posted by 呉屋弘光 at 18:05Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年03月30日

新刊が出来ました、野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」






野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄/和合…神・人・自然・暮らし」で、球陽出版で本格的な画集を扱うのは初めてです。野津さんの作品は、沖縄の風土や生活文化を見事に表現し、見る人にほのぼのとした懐かしさと躍動感を与えます。その芸術性も高く評価され、沖展をはじめとする二科展や沖縄芸術祭美術展、那覇市民芸術展などでも多数入選し、高い評価を受けています。どの展示会場でも、野津さん作品の前には多くの人が群がり、他の作品を圧倒しています。中には鳥肌がたつほど感動したと、感想をくれる人もいます。

野津さんの作品が、幅広い年齢層に圧倒的な支持を得ている訳を、出版の過程で私自身気づかされたものがありました。

それは、作品一つ一つじっくり見れば分かることですが、作品に画かれているのは単なる風景画、人物画ではありません。あるいは単なる自然でもありません。そこに生きている「生命」が画かれています。輝ける生命です。ただ生きている生命ではなく、輝ける生命です。

作品ひとつひとつには、輝ける生命がどこから来るのか、それを示唆しているようにも見えます。

自然もただ自然があっただけでは、生きたものにはなりません。その自然を受け入れ、日々の恵みに感謝して喜びを表す人間を始めとする動物・植物がいて、そこではじめて生命が輝きます。ですので自然は、それを評価し喜んで認めてくれる対象が必要です。自然も人間も、それぞれが単独では存在しえないのです。お互いがお互いを必要としています。その絆にこそ生命が宿っているのです。

そう1「絆」です。絆はお互いがお互いを必要とする、関わりの中で生存しているということです。

「絆」の中にあってこそ、人も自然も暮らしもすべて輝くのです。

今回の東日本大震災で多くの命を失いました。その命とは何だったのでしょうか。

やはり「絆」ではないでしょうか。

親と子の絆、夫と妻の絆、家族の絆、家族と地域の絆、同じ日本人としての絆、世界的規模では同じ人間としての絆、すべてが絆によって生かされているように思います。

絆を失ってはじめて「絆」の大切さを多くの人が再確認したのではないでしょうか。

現代人の多くが感じる閉塞感も、自分は親から必要とされてない、家族からも必要とされてない、地域からも必要とされてない、この世からも必要とされてないと、勝手に思い込むようになるから、生命に輝きを失ってしまっているのです。しかし、本来の姿はお互いがお互いを必要とする世界であり、お互いがお互いを頼りとする世界です。そこに生命の輝きがあるのです。

今は闇の時代です。

物が豊かになればなるほど、相手を必要としなくなりつつあります。そこは他人を必要としない闇の世界です。

大震災によって闇にひとつの光が照らされました。

それは「絆」です。

お互いがお互いを必要とする世界こそ、本来あるべき姿だと気づき始めました。

そのような時、今回球陽出版で発行した「懐かしい未来 沖縄」の野津さんの画集は
まさに時期をえた出版だと思います。

繰り返しになりますが、野津さんの画集で画かれているのは「絆」です。
多くの人が感動を覚えるのも、作品のひとつひとつに「絆」を見出すからだと思います。

作品の一つ一つに必ずストーリーがあります。この人はこういう人、この人とこの人とはこういう関係があると、画かれている一人一人を全員説明されます。お互い一人一人結ばれている「絆」を綺麗に説明されるのです。説明を聞いていると、この人はこういう理由で、この人を必要としているんだ、と画かれている人達の躍動感が伝わってきます。

来週から書店に並ぶ予定ですので、是非手に取って見て下さい。

定価3,000円(税込み)で球陽出版のHPでも申し込みを受け付けています。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:59Comments(2)お知らせ
 

2012年03月29日

ユダヤ人・スマディー家の送別会に参加しました


スマディー家の実家は正統派はユダヤ教徒です。しかし、沖縄在住の方ではありません。沖縄には約160名前後のユダヤ人が住んでいるようですが、スマディーさんはお住いは関西です。イスラエルで日本人男性と結婚して、夫の帰国に伴い日本に移住しました。しかし、色々な事情があって、この度、イスラエルに帰ることになりました。沖縄には一度も来られた事はないのですが、是非沖縄を見てみたいとのことで、大阪の友人かよ子を通して、沖縄のムーン理枝先生とコンタクトがとれ、沖縄で送別会をすることになりました。
ちなみに、白のネックレスと冠を被っているのがムーン理枝先生、その側に座っておられるのがスマディさんです。さらにその両側に座っているのが、スマディーさんの息子と娘さんです。

最初は教会で、送別会をやろうとしたそうですが、スマディーさんの祖父母は、ホロコーストの生き残りで、十字架を見ると、トラウマに悩まされるようです。それで本人も、教会の信徒と会うのはいいが、教会の建物には恐怖感があるとのことで、急遽、北谷美浜のガブリエル・ステーキハウスで行う事になりました。私もお招きを頂き、参加しました。

ムーン理枝先生は、実際にユダヤ人のラビからヘブライ語も学び、ユダヤの暦、伝統行事にも精通しておられます。イスラエルにも何度も訪問し、奉仕活動も活発にやっておられます。旧約と新約の繋がりも、聞いていて非常に分かり易く、とても勉強になります。この人の信仰は本物だといつも感心させられます。私は沖縄からこういう人が現れること自体、神の沖縄に対する期待が大きいものがあると実感させられます。

当日は、ゴスペルシンガーの上原令子さんの歌に合わせて、理枝先生が自らフラを踊って下さり、ユダヤ人家族を歓迎されました。本当に沖縄は凄いです。牧師自らムームーを着けてフラをもって歓迎することも最高ですが、上原令子さんも名の知れたゴスペルシンガーです。このような方々が、ひとりのユダヤ人のために送別会に駆けつけて、自分の持ち歌を惜しみも披露されるのにはビックリしました。


上原令子さんは連帯の挨拶の中で、「自分も小さい頃はハーフと言われ虐めにあった。ユダヤ人もユダヤ人というだけで世界から迫害を受けてきた。だから自分もユダヤ人の気持ちがよく分かる。自分はユダヤ人のイエス・キリストによって救われた。ユダヤ人だから憎まれるのでなく、ユダヤ人だから愛されるという日が必ず来る。いやもう来ている。だから、我々は今ここに集まっている。イスラエルに帰っても自分達のことを思い出してほしい」と切々に語られました。私は思わず涙が溢れ出てきました。異国の地で、このように彼らのことを理解し、励ましてくれる人達が、地図にも載らないような沖縄にいるということは、彼らにとって大きな励みになったに違いありません。神は生きて働いておられると。

令子さんが何かのインタビューで、「自分はハーフではなく、ダブルだ」と答えられている思い出しました。本当にそうです。この人は沖縄人の心優しい肝心とアメリカ人の理性と論理性を兼ね備えた方です。彼女の言葉一つ一つに重みがあり、聞く人の心を癒します。本当に感謝です。神はこのような備えられた素晴らしい方々を遣わし、ユダヤ人を励まし、神の摂理がもう近くまで来ていると、励ましの言葉のように感じました。


理枝先生、上原令子さん本当有難うございました。私のような者までお招きを頂き、ただただ感謝です。スマディー一家に平安があるように祈っています。  


Posted by 呉屋弘光 at 22:38Comments(0)ユダヤ教
 

2012年03月27日

小波津智恵美さんと「引き寄せの法則」





昨日、小波津智恵美さんが来社された。彼女とは4年前に「天使の羽見つけたよ」の本を発行して以来の付き合いである。そして私に「引き寄せの法則」が何かを、具体的に気づかせてくれたのも彼女の生き方であった。

そもそもの出会いから不思議なことばかりであった。私が「ザ・シークレット/引き寄せの法則」を学ぶようになり、毎朝そのDVDを見てから出勤するようになった頃、ふと思った。引き寄せの法則で言わんとする事は良く分かった。

要するに、自分の人生を切り開くは自分自身であるから、自分が主体的に動けば、必ず結果が出る。他人任せではいけない、自分が主体性を持って生きれば、自分が望むことは何でも引き寄せることができる、他人は色々なことを言っても、結局、他人が自分の人生に責任を持つ訳ではない。他人は自分の人生に対して無責任である。無責任な人生を歩んでも、何の喜びもない。逆に「あの人がああ言ったから、自分はこうなった」とグチだらけの人生になってしまう。私が人生の創造主であるから、自分の人生に責任を持つようにしよう。

しかし、月日がたつとふと思った。

DVDで収録されているのは、すべてアメリカのことではないか、はたして外国で作られたものが日本でも通用するのか、と疑問をもつようになった。そこで私は自分の心に語りかけた。自分の人生は自分で切り開くということは良く分かったが、外国の事例だけを見せられても私にはピンとこない。だからもっと身近に、私の分かるような形で教えてくれと。

私がその疑問を投げかけた翌日、私の目の前に現れたのが、小波津智恵美さんであった。

考えられますか!

彼女は私と何の面識もない、しかも頼みもしないのにいきなり電話をよこし

「私は小波津知恵美と言いますが、引き寄せの法則を実践しています。近いうちに本を出したいから相談したい」と言ってきた。全く見知らぬ人から、突然電話で、あたかも私の心を見透かしているかの如く、まるで天の使いが私の目の前に現れたような錯覚に襲われた。

しかし、それは錯覚ではなかった。

私が投げかけた疑問に完璧に答える、具体的で身近な私が分かるような形の「引き寄せの法則」だった。アメリカではない、日本でもない、沖縄、もっと身近で同じ町内に住んでいる、車で2分ぐらいの所に住んでいた。

彼女が公言するように、彼女は自分がほしいものは、全て引き寄せていた。

彼女は悪性リンパ腫で夫を亡くし、母子家庭である。しかも4名のこどもを抱え、一番末子が重度なダウン症の障害があり、美容室の経営だけでは経済的に苦しいと思う。

しかし、そのような環境を乗り越え、ダウン症の障害ある有希君も、西原町では小さな天才画家が現れたと町の広報誌でも取り上げられ、今では中学生なのに、美術サロンで個展を開催するまでに成長している。美術サロンで個展を開くことは、大人でも難しく、ましてや中学生、しかも重度の障害をもつ中学生が、健常者のものではできないことではない。そこまで育てあげた智恵美さんの行動には完全に脱帽であるが、多くの人が、何故彼女が障害をもつ子をここまで育てあげることができたのか、知りたいと思っている。親だから一生懸命にやっているんだろうでは説明がつかないからである。

幸いなことに私は彼女の本を発行したとき、彼女が何を支えに彼女の行動を駆り立てているのか、聞く機会があった。

彼女は答えた。

「呉屋さん、運命を開くのは簡単だ。現実をただ受け入れ、感謝して歩むことだ」

そうか、そういうことか!

人は現実を受け入れなくなったとき、現実に不満を抱き、何故私だけがと現実を逃避し憎む。自己嫌悪に陥る。自分の人生は自分が開くものであり、他人が自分に取って代わって歩む事はできない。だから、自分の人生は自分が責任をもつ。責任をもったときに自分の人生が開かれる、その時に初めて、自分に必要なものはすべて引き寄せられる。それは自分がというものではなく、自分を守っている大魔神がおり、自分が何をしたいか意志表示さえすれば、備えてくれる。

私は小波津智恵美さんを通して「引き寄せ法則」の具体的実践を教えられた気がするが、冷静に考えてみればそうである。他人の顔色を伺い歩む人生に喜びも希望もない。自分の人生は自分が責任を持って歩むと決意した時に、全てが引き寄せられる。最も重要なことは、自分の主体性、貴方は何をしたいのかが問題であり、何をどのようには次の問題である。

今、小波津智恵美さんが取り組んでいるは映画である。

外の環境が問題ではなく、自分が何がしたいのか、ハッキリした意志を持てば、環境は必ず変る。息子のダウン症の障害、母子家庭という厳しい環境でも、夢を捨てることなく、自分が望む事を明確にすれば、必ず道は開かれるということを、映画を通して知って貰いたいとの強い思いがある。1mmでもいい、一歩でも少しづつ積み上げれば山となる。そのことを伝えたいと、今取り組んでいる映画の意義を力強く語ってくれた。

私は彼女を通して「引き寄せの法則」と付け加えて「主管性の法則」(環境を自分が管理しないと、逆に環境に自分が管理される)を教えられた気がする。  


Posted by 呉屋弘光 at 10:23Comments(1)私の人生哲学
 

2012年03月25日

門中清明祭の案内ハガキが届きました





門中の清明祭の案内が届きました。私の門中は應氏外間子・仲伊保門中です。仲伊保門中は20年前に門中会が結成され、門中の行事のときは、門中会から、案内のハガキがきます。門中会が結成されてからは、門中の結束も深まり、若い世代も参加するようになりました。

門中の清明祭は、門中の元祖を始めとする先祖の縁のある墓を一門が揃って参拝します。

私の所属する仲伊保門中の元祖は、沖縄が三山分立時代に北山の最後の王であった攀安知王の子孫だと伝えられております。1416年に尚巴志に滅ぼされた時に、攀安知王の長男は父とともに自害し、二男は西海岸沿いに南下し、糸満の潮平の部落に逃げ延び、そこに百次門中として子孫が繁栄しています。

一方、城を逃げ延びた攀安知王の側室であった真加戸金は三男、四男の幼子を連れて東海岸沿いに逃げましたが、佐敷で捕まってしまい、危うく親子共々殺されそうになったが、寺の住職の計らいによって一命を取り留めました。その三男の子孫の分かれが西原町の仲伊保門中です。三男系統には佐敷町に安次富門中がおり、そこが直接墓の管理を行っています。

三男は外間子、四男は喜屋武久子でその子孫も佐敷を中心に福増門中として子孫が繁栄しています。安次富門中と福増門中は兄弟門中で、我々門中の元祖になる外間子を継いだのは、外間子の長男でなく、喜屋武久子の六男が養子に入っています。

外間子の長男の系統は佐敷町馬天に桃原門中としてあります。そして長男の桃原親雲上の二男の子孫が前呉屋門中として、西原町津波花に子孫がおりますが、仲伊保門中とは直接の交流はありません。

門中の清明祭は、これら先祖の墓を参拝します。

まずは仲伊保本家に集合し、まず外間子(攀安知王三男)のお墓、奥殿内のお墓(元祖外間子の世話になった墓)、真加戸金(攀安知王の側室)の墓、そして仲伊保門中が西原に移住して以来の先祖が祀られている津記多墓、今帰仁墓を参拝します。

以前は、玉陵も参拝していましたが、今は簡素化して6カ所を参拝しています。

参拝が終ったら、重箱をウサンデーして、全員で供え物を頂きながら、本家から挨拶、門中の色々な計画予定などが報告されます。

9時に出発して、PM1:00頃には解散しています。

清明蔡を通して、先祖の加護と守りを祈願し、今年の1年の平安を祈ります。

20年前に調査したときは、沖縄県内で約80所帯、県外国外で約40所帯で合計120所帯ありました。清明蔡の案内をしているのは県内の80所帯です。系図作成から20年経っているから、今はだいぶ増えているかも知れません。そして今年は門中会結成20周年の節目として、系図を作り直そうとの声が上がっております。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:47Comments(2)門中の伝統行事
 

2012年03月24日

私は人生の創造主

私のブログの読者の一人である尼崎市の西口さんより、呉屋さんの見ている引き寄せのDVDとはどういうものか、是非教えてほしいとの問い合わせがあった。貸し出し用にいつも手元にあることを伝え、本日発送した。是非何度も繰り返し、見て頂きたいと思っている。

私が知人友人に「引き寄せの法則」を話をすると、「本当に自分がほしいと望めば、何でも手に入れることができるのか、もし、それだと人間の努力はどうなるんだ。ただほしいと思っておれば何でも手に入るなら、苦労して努力する人はいなくなる」と言う。

しかし、引き寄せの法則を何度も見れば、そのような誤解はすぐに解ける。引き寄せの法則では、何もしないでただ座って待ち望んでおれば、何でも引き寄せられるとは一言も言ってない。

逆に、ただ「ほしい」と思うだけなら、それは永遠に「ほしい」と言う状態が続くと警告している。

たとえば自分の好きな車があって、ショーウインドゥの前に立って、それがほしいと思えば、簡単に車が手に入るというものではない。

それだと潜在意識はこのような「ほしい」という状態を引き寄せてくれと頼んでいるのと同じで、何時もショーウィンドゥの前で指を食わえて立っている自分を引き寄せる。

「ほしい」と思ってその商品の前に立つという事は、今は金がない、金ができたら買おうと思っている訳である。そうするとどのように金をつくろうかと思いめぐらすようになり、自分の思いではなく、金ができてからという外の環境に自分を合わせる事になる。

金があるかないかが問題ではなく、あるいはそれが高いか安いかが問題でもなく、外の環境はあくまでも素材である。それをどうするかは貴方が決めることだ。他人から兎や角言われる筋合いのものではない。もしどうしてもほしいなら、たとえ金がなくても、試乗会場に行き、実際に乗って楽しむことはできる。

お金はどのようにつくるかは、自分の心に住んでいる大王に任せればいい。

引き寄せの法則でアラジンのランプの喩え話がよく出る。ランプをこすると大魔神が現れて、主人のいう事は何でも叶えくれるというものだ。主人の言った命令にけして逆らう事がない忠実な僕だ。

何をどのようにするかはこの大魔神がやる。自分の仕事ではない。自分がやるべきことは、自分はこの車がほしいと明確に伝えるだけだ。明確にとは、いつまでに自分がほしいかを正確に伝えるということだ。

この大魔神の存在を知らない人は、自分一人で何でもしようと試み、結局自分には無理、できないと自分の意志を放棄してしまう。放棄すると、自分が環境から支配を受けることになり、環境が整うまでと我慢を強いられる。

環境はあくまでも環境である。自分の人生にたいしては単なる素材に過ぎない。自分にあれこれと命令できない。自分に命令ができるのは、自分自身である。環境が問題ではない。いかなる逆境にあっても、自分の人生に責任を持つのは自分自身である。

だから自分の人生をどうしたいのか、外からくる環境に対して、自分はこうしたいのだ、明確に伝える。自分の人生に自分はこうしたいのだ、と明確に意思表示すれば、それこそ大魔神が現れて、自分に必要なものは何でも引き寄せてくれる。

色々な難しい局面に、ただほしいと指を食わえて待っていても、物事は何も進展しない。自分自身が自分の人生の創造主であり、自分が責任をもって、何をしたいのか、その指示命令を大魔神は待っている。主人の命令なしには大魔神はけして動かない。

私は、引き寄せの法則を通して、人間一人一人には大魔神が住んでおり、主人の命令に忠実に働き、何でも引き寄せて、環境を整えることを知った。問題は主人が主人としての自覚がなく、ただ環境に流され、自分自身の尊厳性を失い、自分がいかにダメな人間かを自分自身に言い聞かせて生活しているということだ。表面的なことだけに一喜一憂している。

そのような状態から目覚めるためには、絶えず自分自身に問いかけることだ。

現実が問題ではなく、私が何がしたいのかが、今、問われていると考えることだ。

私は私の人生の創造主であることを知ろう。

私が私の人生に責任を持とう。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:10Comments(3)私の人生哲学
 

2012年03月22日

私が実際に体験した「引き寄せの法則」

私は、親友の呉屋俊光君より「ザ・シークレット」の本を紹介され、一時期それに夢中になっていた事がある。今まで私の考えていた人生観が、180度転換させる内容のものばかりであった。しばらくしてネットでDVDになっていることを知り、すぐに申し込んだ。それからというもの、毎日、朝4時に起床し、5時、6時頃から約1時間半のDVDを見てから、出勤する日々が続いた。それは雨が降ろうが、風が吹こうが1日も欠かさず、毎日見ていた。

約半年ほど続いたが、見ていて飽きる事は一度もなかった。同じ内容なのに、毎日、新しい発見があった。字幕付きのDVDも、日が経つにつれ、字幕なしに完璧に理解出来るようになっていた。

半年ほどして、私は思った。

確かに私の人生は、今まですべて他人任せ、あるいは運任せで、自分がいくら努力しても、成功するか否かは、すべて運次第と考えていた。しかし、現実に起きている出来事は、すべて自分で決めて、自分が承認したから、目の前に展開しているのであって、自分が認ない限り、自分の前に現れる事はない。お金、仕事、人脈、情報のありとあらゆるものは、自分が過去に承認した結果で、自分の目の前に集まっている、いわば自分の思いがすべてを引き寄せているという。それは意識的であろうが、無意識であろうが、そこに引き寄せの法則が働いている、というものだった。

そこで、私は考えた。

「引き寄せの法則」内容は良く分かった。しかし、これはほとんどがアメリカで収録されたものではないか、アメリカの実業家であったり、学者であったり、著名な作家であったり、自分のほしいものを文字にし、あるいは将来の理想するものを部屋の壁に貼ったりして、意識を集中して、自分の欲しい物を手に入れたとしても、それは、外国の事である。

もし、それが本当なら、外国の事例だけでなく、是非、私の身近で、私に分かるよう提示してくれ、私の思いで引き寄せが可能といなら、是非それを示してほしい。私がほしいのは、外国の事例ではなく、もっと身近な事例がほしいと心の底で叫んだ。

すると、翌朝信じられないことが起こった。

朝一番、見知らぬ人から1本の電話が入った。電話の相手は、小波津智恵美さん。私とは全く面識がない。面識がないのに、突然電話がかかってきた。

「小波津智恵美と言いますけど、私は引き寄せの法則を実践しています。近いうちに本を出したいから相談にのってくれ」ということだった。

私は、自分の耳を疑った。

引き寄せの法則を実践?

どこで私が引き寄せの法則に関心を持ち、DVDを毎日見ている事を知ったんだ。昨日私が心の底で叫んだのを、どこで知ったんだ。実に不思議な出来事であった。まるで、私の心の叫び神が聞き、小波津さんにあなたが行って、色々と教えてあげなさい、神の指示を受けているかのようであった。私には神の使いがきたのかと一瞬思った。

小波津智恵美さんは、子ども達の作品集、有希君の墨絵と二女絵美の詩集をひとつにまとめた本を出したとのことだった。本は三ヶ月ほどで完成し、出版した。先日ブログでも紹介したが、本のタイトルが「天使の羽見つけたよ」である。子ども達の作品だけでなく、智恵美さんの子育て奮闘記を随所に入れ、小波津ファミリーを絆を強く意識した内容になっている。

編集の打ち合わせで何度か小波津智恵美さんのお宅を訪問したが、その時部屋の様子を見てビックリした。あの引き寄せの法則のDVDで紹介されているように、部屋の壁に、写真や智恵美さんが閃いたメッセージが貼付けられていた。トイレにも、同様に日々の生活で自分が感じ取ったメモを貼付けていた。

彼女が引き寄せの法則を実践しているという意味がよく分かった。息子の小波津有希君はダウン症の障害を抱えているが、母親の深い愛情で、障害を乗り越え、中学生になっても自分の名前すら書けない状態だが、沖縄の一流画家と肩を並べて、パレット久茂地の美術サロンで個展を開くまでに成長している。地元西原町では、町民功労賞を受け、表彰されている。

彼女を通して私は学んだ。

人は自分が目標を達成できないのを、他所のせいにするが、外の環境が問題ではなく、本人が何をしたいのか、その意志さえしっかり持っておれば、望むものはすべて引き寄せられると。着実に夢に一歩づつ近かづいている。

私自身について言えば、引き寄せの法則を自分なりに理解できたときに、これは外国の事例で、もっと身近にそれを示す事例を提示してくれと、意志を明確にしたから、小波津智恵美さんとの出会いがあったと理解している。

何故、面識もなかった私に突然電話してきたのか尋ねたことがある、

すると彼女は答えた。

「西原町の我謝にある出版社に電話しろ」との声が何処からともなく聞こえた。  


Posted by 呉屋弘光 at 09:02Comments(5)私の人生哲学
 

2012年03月20日

問われるのは、主体性と責任の所在だ

引き寄せの法則で私が一番感動したのは、「貴方は人生の創造主である」という宣言であった。

今まで人生は自分の預かり知らない所で展開され、自分の意志ではどうすることもできないと思い込んでいた。しかし、人生の創造主は自分自身であり、自分の許可なくして、いかなることも自分の前に起こる事はない。自分の目の前で起こっている事は、すべて過去に自分が承認したものばかりであるという内容に驚かされた。

そう!今まで考えた事もない。

借金で悩む人は、借金で悩むことを自分が許した。

男女関係で悩む人は、男女関係で悩むことを自分が許した。

人間関係で悩む人は、人間関係で悩むことを自分が許した。

自分の目の前で起こっている出来事は、自分がそのように選択した結果だという。

自分の許可がなければ、自分の目の前に、人も金も情報もいかなるものも現れる事はできない。

この真理が理解できたとき、私はまさに目から鱗、人生のターニングポイントを迎えたように思えた。

すべて今まで逆に考えていたことに気づかされた。このことが理解できなった時は、すべて逆に物事を考えた。借金で悩む人は、収入が少ないからその結果だと思った。問題はすべて外にあると考えた。

しかし冷静に考えると、自分が収入は少なくてもいいと思うから、収入が少ない状況に追い込まれるのである。だからと言ってそれが借金に直結する訳ではない。自分が借金してその場を凌ごうとしたから、借金ができたのであって、収入とは関係ない。自分が判断を下したから借金ができたのである。

物事のひとつひとつが自分の選択の結果でありながら、人は自分の外の環境に責任を転嫁する。そして自分の責任を認めたがらない。自分が望んだから、自分がそれを許したから、そのような結果が出たとはけして認めない。しかし、引き寄せの法則を学ぶうちに、自分が自分の人生の創造主であると知らされ、自分の人生は自分が決定していいんだと嬉しくなった。

人間は自分の主体性を発揮して、自分の人生はこのようにしたいと明確なる目標を出した時に、はじめて自分の外の環境をコントロールできるのであり、そこで自分の創造性を発揮して、自分のほしいものはすべて引き寄せることができる。そしてそれを管理することができる。いやむしろ環境を管理するように人はつくられている。金、人脈、情報、知識は外の環境であって、その環境を管理するのは自分自身である。

環境を管理できない人は、逆に環境に支配される。

いや、今は金がないから、情報がないから、人脈がないから、才能がないから、と自分の主体性と責任を放棄して、何故できないかの理由を探し求める。言い訳を始め、責任を放棄したことを正当化しようと必死になる。

しかし、よく考えてほしい。

環境は自分に材料を提供しているだけである。その材料を使ってあなたは何がしたいのかと言っているのである。

金がない、だからそれがどうしたの。

人脈がない、だからそれがどうしたの。

才能がない、だからそれがどうしたの。

学歴がない、だからそれがどうしたの。

ということになる。

お金の有無が問題ではない、人脈の有無が問題ではない、才能の有無が問題ではない、学歴の有無が問題ではない。それらの目の前の材料を通して、あなたは何がしたいのかが問われている。

人間は神の形に創造それており、神に似せて男と女とに創造されている。神が森羅万象を創造されたように、人間ひとりひとりも目の前の材料をどのように自分の人生に活かせていくか、その創造性を神ご自身が期待し、楽しみにしておられる。そして創造の喜びをともに分ち合いたいと願っている。

私は、系図作成を通して、環境が問題ではなく、本人の主体性、そして自分が絶対つくるんだとう責任をもつと、環境が整えられることを何度も見てきた。お金がないといえば、お金をサポートする人が現れ、知識がないといえば、情報をメモした資料がでてきたりと、色々な経験を積みながら、環境は問題ではなく、本人の主体性、そして自分が責任を持つと宣言すると、必ず運命は開けるものだと確信している。そして、人生のあらゆる分野に適応できると信じている。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:18Comments(0)私の人生哲学
 

2012年03月19日

問題は外ではなく、内にある。


私が精神文化の原点に関心をもつようになったのは、「ザ・シークレット」という引き寄せの法則の出合いからであるが、それを決定づけたのは、小波津智恵美さんとの出合いであった。4年ほど前に彼女の子どもたちの作品「天使の羽見つけたよ」の本を発行し、それが縁で知り合った。

小波津智恵美さんは、西原町では知る人ぞ知る有名人で、ダウン症の障害の息子を女手一人で育て上げ、西原町の広報誌でも、息子の小波津有希は山下清の再来だ、いや西原町が生んだピカソだととか、小さな天才画家だと話題になった。だから西原町民の多くの人が、母子家庭という厳しい環境で、よくも4名の子ども達を立派に育て上げ、障害の子どもの才能も見事に開花させたと教育の熱意さがよく話題にのぼる。

何故、そこまで頑張れるんだろう。どうすれば彼女と同じように子育てに熱意が持てるんだろうとの声もよく聞く。

ただ親だから、一生懸命にやっているんだろうとの言葉だけでは片付けられない何かがある、凄いパワーを秘めている。その迫力は会う人を圧倒させられる。

彼女は私に良く言う。

「運命を開くのは簡単だ。ただ現実を感謝して、ありのままに受け止める。ただそれだけだ。それ以上のことは何もやる必要はない」と目を輝かしながら、自信をもって言う。たいていの人はその確信を持った言葉に圧倒される。

それもそのはず、本人は本で学んだ知識を言っているのでなく、彼女の実生活の中から出てきた言葉である。私は彼女の本を発行したとき、何故彼女が人の倍以上働きをするのか、外の環境は厳しく押しつぶされそうになっても、それを撥ね除ける力はどこから来ているのか、非常に興味があった。

そこで私は彼女の中学時代の体験話を聞き、その時の教訓が精神的な大きな支えになっていることに気づいた。

即ち、たいていの人は外の動きに目が奪われて、物事の本質を見失い、精神的落ち込んでしまう。物事の本質は外の動きがどうなっているかがでなく、その物事を本人がどう理解し受け止めているかが問題であることを、彼女はよく理解していた。外ではなく、問題は内にあるということだ。

彼女の話しのストーリはこうである。

彼女が中学校の頃、島尻地区の陸上競技大会で、1000m競技の選手として出場した。ゴールしたときは2位であった。しかし、表彰された時は、1位として表彰台に上がった。すると、それを見ていた父がカンカンに怒って、「お前は、2位なのに何故1位の表彰台に上がるのだ」と怒鳴られた。父親は自分の目で確かに、2位でゴールしたのを見ているから、1位で表彰されるのは納得がいかない。何故だ。不正だ。それしか考えられない。と父親は怒っているのである。

おそらく父親の心の片隅に「私は島尻地区では名の知れた建設業の社長だ。島尻地区の多くの学校も自分が建設して、先生方も自宅に招いて接待をよくしている。大会の運営の中には、私を良く知っている人がおり、この智恵美が私の娘だと知って、私を喜ばそうとして、2位なのに1位で表彰しているんだ。私はこんなことをしても喜ばないぞ!、これは不正だ。許せない。」と思ったはずである。

何故そうなっているか原因を確かめようともせず、娘の智恵美を怒鳴り続けた。

しかし、現実はお父さんの思惑とは全く関係なく、大会の運営規定に基づいて行われていた。即ち、正式な大会ので選手登録をしてない人は表彰さるはずはなかった。1位になった人は、正式の登録をせず、単なる自分の腕試し、大会に参加して、たまたま1位になったのであった。登録もせずに参加するのは規定違反であり、表彰は除外された。

しかし、お父さんは2位が1位で表彰されている現実を、不正が行われているから、こうなっているんだと自分勝手に思い込み、その思い込みに対して、それは許せないと非難している。それは冷静に落ち着いて考えてみれば分かるはずだ。まさか自分を喜ばせようと大会に不正が行われるあろうはずがはない。それを本人は、日頃から学校の先生方を自分の自宅に招いて接待したり、あるいは学校に色々と奉仕するのは、もっと仕事が貰えるようにと野心があるから、目の前に展開する出来事も、自分が不正な思いと一緒で、同じように不正が行われていると映ってしまう。

だから外で何が起こっているかが問題ではなく、起こっている現実にたいして自分がどのように解釈して、どう理解しているかが問題である。たいていの人は、こう考える。私が怒ってるのは、2位なのに1位で表彰されるからだ。これは不正だから不愉快な気持ちになるんだと。

問題を外に求めようとする。問題は外にはない。自分の心の中にある。自分が不正なことをやっておれば、外の出来事もすべて不正に映る。いわば外の出来事は、自分の心を映し出したものである。自分の心を変えない限り、真実は見えてこない。外の環境が問題ではなく、
いつも自分が物事をどのように捉えているかが問題である。

私にとって、このことは精神文化の原点に注意を向ける大きな発見であった。

私は智恵美さんに言った。

「これはお父さんだけの問題ではなく、人間皆同じではないか。自分勝手にこの人はこうだ、あの人ああだ、と勝手に決めつけて人を平気で裁く、それは自分に問題があるとは考えようともせず簡単に人を裁く。これは私の姿そのままではないか」

智恵美さんはその時以来、他人がどのように評価しようが、それに心を奪われることなく、真実が何か、冷静に自分自身を見つめるようになったようだ。私も彼女の体験談を聞いて以来、現実的にたとえ自分が理解できないことがあっても、何が真実だろう、ここで何が起こっているのか、自分はどのように捉えているのだと、絶えず自問自答する習慣が芽生えた。

小波津智恵美さんは一番末の子が生まれたとき医者より重度の障害があると宣告された。ダウン症の障害である。そのとき普通の人はこう考える。「ダウン症か、知恵遅れで、兄弟からも虐められる、親戚から疎外される、学校でも仲間外れにされる。面倒を見るのも大変だ。なんで自分の家庭にこのような疫病神が舞い込んだろう。これから先、ありとあらゆる不幸を自分達の家庭に持ち込むだろう」とまだ起こってない事を自分勝手に思い込み、自分自身を追い込む。しかし、宣告を受けた時点では何も起こってない。ただ自分勝手妄想を膨らませて、まだ起こっても無い現実に怯えてしまう。

彼女がとった行動は、今現実に起こっているのは何はともあれ、無事に生まれたという現実だけだと自分に言い聞かせ、大学ノートを取り出し、有希生まれて有り難う、有希大好き、何度も何度も書き出し、一冊全部に同じ言葉を書き綴った時に、心が落ち着き、自分が何をすればいいのか、現実と向き合うことができるようになったようだ。

そう!現実から逃げるのでなく、現実に正面から向き合う、現実を感謝して受け入れることができるようになったという。今では小波津有希君も中学生となり、パレットの美術サロンで個展を開くまでに成長している。

問題は外ではなく、内にある、私はこの言葉を重みをいつも強く噛み締めている。  


Posted by 呉屋弘光 at 23:12Comments(1)家系図療法
 

2012年03月18日

ビーチャン、メッセージ有り難う

今日は、いつもコメントを頂いているビーチャンがわさわざ会いに来てくれた。時が経つのも忘れ、2時間近く話し込んでしまった。
ビーチャンは17歳の時に洗礼を受け、信仰歴が30年にもなる。私は洗礼受けてまだ4ヶ月しかならず、歳は私よりも10歳も若いが、非常に勉強になった。信仰歴のある方から、様々なメッセージを聞き、色々と教えられることばかりである。

私も3年ほど前に、与儀喜美江さんという敬虔なクリスチャンに出会い、キリストに関心を持つようになり、自分なりに中川牧師のCDを買い求め、色々と学ぶうちに、新約の福音が何か、クリスチャンのいう救いが何かを知るようになり、私自身キリストを受け入れ、昨年11月27日に、洗礼を受けた。

しかし、3年前は福音というのが、どうしても理解できなかった。

何故、イエスの十字架が救いに繋がるのか、私は会った事もない見知らぬ人に、自分の罪を贖ってくれとお願いした覚えもないのに、一方的に「貴方の罪のためにイエスは十字架で死なれた」と言われても、それこそ小さな親切、大きな迷惑であった。

そもそも自分の罪を他人になすり付けて、刑を執行させ、そして自分の罪が放免されるとでも言うのだろうか。それはまるで暴力団の組長が殺人を犯して、自分の手下に、「お前が出頭して、自分がやったと言え」と指示し、自分の罪を手下に負わせ、刑罰から逃れようとするものではないか。またある地域に勝手に縄張りをはり、ここは俺たちが命をかけて守っているから、縄割り料を払えと要求しているような物ではないか。

罪を償うのは自分自身で負うべきであり、他人がそれを代理できるはずないし、法的にもおかしい。何故、クリスチャンは、イエスが罪人の罪を背負って、貴方に代わって罪を背負われたと言うのか、本当に脳天気の人達だな。何が十字架によって自分は救われたというのか、本当に心の底からそう信じているのだろうか、疑問に思っていた。

私には全く意味不明であった。

だから、与儀さんと出合った最初の頃は、率直に私の疑問を彼女に投げかけた。

あなた方クリスチャンは、イエスを神の子と言いながら、実際はイエスを家畜としてみているのでないか。イエスを家畜ではなく、人間としてみたら、大衆の面前で、丸裸にされ十字架に架けられると、本人のプライドはどうなるんだ。今まで弟子訓練をして、弟子たちも、奇跡を見た多くの人達からも神の子として崇拝されているのに、そのイエスの人間として尊厳性を、貴方は考えた事はあるのか。

もし仮にあなたの父親が危篤で息を引き取ろうとする間際に、自分の兄弟が、息を引き取ろうとする親の目の前で、電卓をパチパチさせながら、あの土地は私が貰う、この銀行口座は私がもらうと、言い争っていたら、貴方はどういう気持ちになるんだ。イエスが十字架に架けられた時も、ローマの兵士がイエスから剥ぎ取った着物を、ニタニタ笑いながらゲーム感覚でイエスの着物を誰が取るか奪い合っていた事が聖書に記されているではないか。人間の尊厳性も総て剥ぎ取られて、そこに何の希望があるというのだろう。

私には、どこに救いがあるのか全く分からない。

あなた方は、イエスを感情を持たない家畜としてみるから、十字架につけられたイエスに対して何の感情もわかないのだ。イエスも我々と同じ血が通っており、褒められれば嬉しい、誤解を受ければ悲しい、侮辱されれば悔しいという感情を理解する必要があるのではないか、貴方は十字架によって救われたと自信を持って言うが、私には全く理解できない。貴方の愛は上滑りの見せかけの愛で、そのような愛で人が救われるとは、とうてい信じがたい。

別にクリスチャンを揶揄している訳でもなく、侮辱している訳でもなく、ただ純粋に疑問に思うから尋ねた。

そのような疑問は与儀さんだけにではなく、牧師にもぶつけた。多くの牧師は、まるで私が疫病神にでも取り憑かれた人が、目の前に現れたかのように、「あなたは何様だから、そのような質問をするんだ」と意気込む人もいた。

しかし、私は困った質問して牧師が慌てふためく姿を見たいのでなく、純粋にその答えがほしかった。

与儀さんもそのような質問ばかりを繰り返す私に愛想を尽かし、新訳聖書のへブル人への手紙をコピーして、事務所のポストに投げ込み、これを読んで勉強しなさいと言わんばかりであった。私もほとほと困り果てた。私の真意がクリスチャンに伝わらない。私は分からないから、ただ教えを請うているだけだ。何故、クリスチャンは明確に答えてくれないだろう。

その答えは、三浦綾子の「道あるき」「塩狩峠」の作品を見たときに解けた。神の愛がどういうものか、イエスの示された愛が自己犠牲の愛で、神の御性質を顕したものであることを知った。特に「塩狩峠」を見たときには、本当に涙があふれ出て、自分の命を犠牲にして、汽車の暴走を食い止めた長野氏の行動には感動した。これが神の愛、真実の愛、三浦さん有難う、真実の愛が何かがよく分かりました。本当に有難うと、流れ出る涙を抑えながら、思わず手を合わせた。

そして、神の愛を、新約の福音がよく分かったとして、洗礼を受けた。

あれから4ヶ月がたつが、信仰を私よりずっと先を歩まれるビーチャンがわさわざ会いにきてくれた。信仰歴のまたまだ薄い私だから、30の信仰歴を持つビーチャンの証は、本当に有り難いものだった。

ビーチャン色々と有難うございました。勉強になりました。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:41Comments(0)案内
 

2012年03月16日

系図の魔法の言葉「だから、何なの!」

以前に「私はツイテいる」という言葉が流行った。ユダヤ人から教えて貰った魔法の言葉として、どんなに逆境の中でも、「私はツイテいる」と絶えず唱えておけば、物事はプラスの方向に働き、自分を正しい方向に導いてくれる魔法の言葉ーそれが「私はツイテいる」であったように思う。

一時期は多くの人が試してみたと思うが、しかしこの言葉も、ただ形だけ真似て、口先だけで「私はツイテいる」と唱えても、現実は何も変わらないことが知られるようになり、最近では色あせてきた。ただ口で「私はツイテいる」と唱えても、心の中では私はツイテないと思っていれば、自分の前に引き寄せられるのは「自分はツイテない」という現実だけである。自分が心の中で思っている事しか、現実には引き寄せられない。本当に「ツイテいる」と思っていれば、「ツイテいる」現実が、「ツイテない」と思っていれば、「ツイテない」現実が引き寄せられる。

言葉にするか否かはその次の問題である。

私が系図づくりを始めてから、分かった事はまさにその事であった。色々な人達が系図の相談に来られる。しかし、系図を作成できる人と作成できない人達が出てくる。系図を作成できる人と出来ない人の違いはどこにあるのか、よくよく見比べると、その人達の意識の違いによるものであることが、良く分かる。

そう!意識が違うのである。

絶対に作りたいと心の底からそう思っているのか、まー出来れば作りたいと思っているのか、その意識の違いである。小さな事のように見えるが、結果として大きな違いをもたらす。作れない人達は、自分に主体性がなく、責任感も伴わない。責任感がないから、自分から真剣に取り組んで作ろうとせず、すべてが他人任せになってしまう。そして何故自分ができないのか、その理由を一生懸命探している。

お金がない、自分はまだ若い、自分は女性である、生活のゆとりがない、自分は二男、三男であり本家ではない、自分は門中の行事にも参加したことがなく門中のこともよく知らない、上げれば切りがない。

確かに我々が何かを達成しようとするとき、目の前に多くの障害物に出会う。その障害物を乗り越えることの出来ない人は、障害物があるから自分はできないと、自分を正当化する。問題が目の前の障害物にあるかのように言う。しかし、問題は目の前にあるのでなく、自分の心の中にある。外ではなく、内にある。

人間は人間である。自分の生存は自分が決定するように創られている。どんなに最悪の環境であろうと、それをどう受け止めるかは、本人の選択に任されている。そして選択した結果が、自分の前に現実として現れる。それは自分の思いが現実を引き寄せるからである。

お金、知識、人脈、情報すべてが引き寄せられる。本人が本当に系図を作りたいと思っておれば、それが引き寄せられ、そうでなければ違う現実が引き寄せられる。これが、私が系図づくりを始めてから発見した、大きな真理である。そこには性別、学歴、年齢は何一つ関係しない。できない人は、他人のせい、人のせいにして整ってない環境のせいにする。

しかし、環境を支配するのは自分自身である。外の環境をコントロールできない人は、外の環境にコントロールされる。お金が無いという人は、お金に支配され、知識が無いという人は知識に支配され、環境任せなので、自分では何ひとつできない植物人間になってしまう。

そうすると現実にいつも流される自分自身が情けなくなり、自分に対する誇りも無くなってしまう。最終的には自己嫌悪に陥り、喜びも希望も失い、生きているという実感がなくなってしまう。それは環境を支配するのでなく、環境に支配されるからである。

だから、私は強く言いたい。環境は自分が何がやりたいのかとは、全く無関係である。お金がなければ、つくりたいという思いを持ってはいけないのか、二男、三男であれば、作ろうとする思いを持ってはいけないのか、女性であればダメなのか、すべて答えはNOである。

外の環境はただ「あなたは何がしたいのか」と聞いているだけである。そこで「私は系図をつくりたい」と答えれば、その環境が必ず整えられてくる。お金がなければ、お金をサポートしてくれる人が必ず現れる、あるいは「この部分が分からない」といえば、その部分を良く知っている人か資料が必ず出てくる。複雑な深刻な環境は貴方が何をしたいのか尋ねているだけである。それは貴方の本気度が試されているのである。貴方さえ望めば何でも望みは叶えられる。

本当にそうである。まるでアラジンの魔法のランプのように、こすれば「ご主人様、何をしましょか」と大王が現れて、自分の願いをひとつひとつ叶えてくれる。あなたは「何を、どのようにするか」はまったく考える必要はない。「何を、どのように」には大王がやる仕事である。あなたは「私は系図がつくりたい」とその思いを伝えるだけである。

あなたがやる仕事はただひとつ「私は系図をつくりたい」と叫ぶことだ。そういう思いがありながら、色々な引っかかりがあって、なかなか素直に自分の意志を表明できない人のための魔法の言葉がある。

「だから、何なの!」

そう、この一言を言ってから、それでも「私は是非作りたいんです。」と続けよう。

こう答えよう。

お前はお金がないのでないか →「だから、何なの!」

お前は女性ではないか → 「だから、何なの!」

お前は分家ではないか → 「だから、何なの!」

お前は系図のことは分からないではないか → 「だから、何なの!」

私は過去20年の系図作成の中で、いつもこの大王が現れて、系図を完成させるのを何度も目撃した。だから、難しく考えることは何一つない。系図づくりは肩に力をいれることなく、自分の思いを大王に伝えるだけだ。大王とは自分の本心のことである。

皆さんも、系図を作成すれば、この魔法の言葉を使い、大王に会う事ができると信じている。

とにかく自分の本当にやりたいことを大王に、包み隠さず明確に伝えることである。  


Posted by 呉屋弘光 at 22:05Comments(2)家系図療法
 

2012年03月15日

琉球放送6時ザ・ニュースの映像をアップしました



先日RBCで放送された「家系図 今ひそかなブーム」の映像が届いたので、早速YouTubeにもアップした。私もインタビューに答えて、今、増えつつある若者の系図作りの背景をどう思うか意見を求められ、私なりの感想を伝えた。

首里城が復元された1992年頃も、系図のブームがあり、私の門中・仲伊保門中も門中会が結成され、系図作りが始まった。あの時は私は30代後半、しかし系図を作ろうと積極的に働きかけをしたのは、70〜80代の方々が中心であった。その長老の方々から、系図作りを手伝ってほしいと頼まれ、私の本家の方々と一緒に分家一軒一軒を訪ね、ほとんどが直接の聞取り調査で、系図を完成させた。

門中の行事に参加しても私が年は一番若く、「貴方は若いのに、よく頑張る」と珍しがられた。系図が完成したときは、本当に喜ばれ、私は門中で初めて「最功労賞」も頂き、表彰された。

私の門中で作成した系図を印刷所で見た他の門中の方から、「自分達の門中の系図を作ってくれ」との声がかかり、少しづつ他所の門中の系図も作成するようになった。すべて手探りで始めた系図作りであった。勿論、門中の長老の方々の強い期待と支えがあったから、出来たと思っている。

20年前は、60代、70代、80代の長老の方々が中心にやられていたように思うが、今は、球陽出版に系図の依頼に来るのは、20代、30代、40代の方々が中心になってきている。確かに何かが変化してきている。

20年前は先輩方の指導で、系図を作成させた。主体は年輩の方々である。

しかし、今の若者の系図作りは若者が主体となって、自分のルーツを正しく知りたいとの純粋な思いで、進められている。

20年間系図作りをやって感じることだが、系図には年齢、性別、学歴の有無は全く関係ないと思っている。

名門だから系図が作れる、お金があるから、男だから、本家だから、門中の事を良く知っているから、ではないのである。本当にその人が系図を作りたいと思っておれば、間違いなく作れるといことである。

番組で紹介されている仲代さんも、33歳である。しかも女性、門中の分家でも一番末の分家筋である。最初は何もない無の状態から始まり、あれよあれよという間に、門中のルーツが明らかにありつつある。

私は彼女を見ていて、系図にも「引き寄せの法則」が働き、本人がつくりたいという強い思いがあれば、すべて本人の前に引き寄せられるということ痛感する。彼女の実家の島袋門中も完成間近である。  


Posted by 呉屋弘光 at 14:14Comments(0)お知らせ
 

2012年03月14日

私はユタではない

5年ほど前のことである。40代前後の中年の女性が家系図のことで相談に見えられた。見るからに活発そうで、いかにも保険の外交員のような印象を受けた。何でもハキハキと包み隠さず返答される。何でも家庭内で色々な問題があり、是非系図を作りたいとのことだった。どのような系図を、どのように作成しているかを、実際に作っている他の門中の系図を見せながら、沖縄の伝統系図がどういうものかを一通り説明した。

すると、私の目を覗き込むかのように真剣な表情で私に尋ねた。

客 「以前にどこかで家系図療法というのがあると聞きましたが…」

私 「何ですか、私は聞いた事がありませんが…」

客 「ほら!家庭内で色々な問題があるときに、系図を作る事によって、それが先祖供養に繋がり、家庭も、夫婦関係も、親子関係もうまくいき、ひいては仕事も全て順調にいくようになるってことですよ」

私は、おもわず吹き出してしまったが、相手の目は真剣そのもので、それだけ彼女の抱えている問題が深刻だろうと感じた。

そこで、私は答えた。

私 「ここは家系図を作ることが仕事ですよ。私はユタではありませんから、ここでは判事(物事の吉凶を占う)を出しません。もし貴方が系図を作ることのではなく、判事の相談であるなら、どうぞユタを探し求めて、そこで相談して下さい。私は見えたり、聞こえたりはしませんから、ユタのような判事は出せません。」

すると相手は肩すかしをくらったような、私の期待はずれの返答に困った表情をした。

しかし、私は真実を相手に伝えている。

確かに過去の系図を作った経験から、系図を作成する事によって劇的に変った人達を何人も見てきた。門中では門中会が結成され、一門が一致協力して本家を支えるようになり、門中の行事にも積極的に参加する人が増え、なかなか結婚できない長男に嫁がきたとか、仕事も順風満帆に取引先も増えたとか、色々なことを見てきた。

おそらく相手もそのような答えを期待して、系図を作成すれば、全ての問題が解決すると、私が力説することを願っているのだろう。これは明らかにユタ通いの延長で私を見ている。ユタの拝みを期待しているようにも見える。しかし、私は細木数子でないし、ユタでもない。お墓参りすれば、簡単に物事が解決するとは言えない。私は目に見える資料をもとに系図を作成している。

本当にそうなのである。

系図を作成すると色々な道が開けてくるのは本当だが、だからと言って、それを目的にすると、系図はけして作れない。親子関係、夫婦関係、家庭不和があるから系図を作成して、問題を解決しようとしても無理である。見当違いである。現実逃避である。現実から逃げて、何故、現実の問題が解決するだろうか。現実に正面に向き合ってこそ、現実の問題は解決するのである。

これは系図の問題に限らず、すべての問題に共通するのではないだろうか。

現実的には色々な問題があっても、本人が本当に系図を作りたいと本当に思っていれば、それは必ず実現するし、現実的に抱えている問題を解決する手段として考えているなら、けして作ることはできない。それは現実と向き合ってなく、現実から逃れる口実に使っているからである。

先日、琉球放送の制作局のレポータ比嘉ちはるさんより、放送終了後に「家系図や門中の世界は非常に奥深く、さらに学びたい気持ちになりました。」とのメモ書きがよせられたが、本当にそうである。沖縄の系図を知れば知るほど、その奥深い真理に突き当たるようで、6年前に「沖縄の精神文化の原点を求めて」を看板に掲げて系図を手がけるようになり、その意義をますます深める日々である。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:11Comments(0)家系図療法
 

2012年03月10日

系図作りは信仰が試される

「沖縄の伝統系図を作成します」と看板を掲げ球陽出版を立ち上げて、満6年今年で7年目に入る。毎日、電話での問い合わせが2〜3件ほどあり、年間だと1,000件近い相談を受けている。毎週一人平均、自分で作った資料・戸籍などをもってきて、どのように整理したらいいかのとの相談も受ける。月平均2件ほど系図を作成しており、もう既に作成したのは120件を越えた。

過去6年間を振り返ってみると、系図を作成できる人と、作成できない人には大きな違いがあることに気づいた。これは系図作成を始めて1年ほど経った頃、一時期ブームになった「引き寄せの法則」をみて、自分の系図作りにそっくり適応できることに知ってからのことである。

系図を作ろうとしても、何故、系図を作りたいのかその理由が明確でない人は、ほとんど作成できない。

自分はこうこういう理由でどうしても作るんだと言う人は、お金を持っていようがなかろうが、あるいは知識が豊富であろうがなかろうか、年をとっていようが若かろうが、あるいは女性であろうが、本家であろうが分家であろうが、長男であろうが、二男、三男であろうが、それらは全く関係なく作れる。

問題は決意である。意志である。本人が心の底からどうしても作りたいと思っているかどうかある。

決意が固ければ、必ず環境は自ずと整えられてくる。お金がなければお金をサポートする人が必ず現れる、自分達の門中についてよく分からなければ、門中のことを一番知っている人、あるいは資料が出て来る。

系図を作成するようになってから、一番驚かされたのはこの事実である。本当に環境は本人の決意・意志が強ければ、必ず自分の前に引き寄せられるという事。お金、人脈、情報、なんでも引き寄せられる。私は系図を作るようになってから、この「引き寄せの法則」のDVDを見たとき、「なんだ、これは系図作りで私がいつも体験していることではないか」とつくづく思った。

本当にそうなんです。環境が問題ではなく、本人がどう思っているのかその意志が問題なのだ。本人が大丈夫と思っておれば、大丈夫の環境が目の前に引き寄せられ、危ないと思っておれば危ない環境が目の前に引き寄せられる。だから環境がどうなっているかは全く問題ではなく、あなたが何をしたいのか、その意志が問われる。

だから私は系図作成の契約書を交わしたとき、「これから系図作成に必要なものは貴方の目の前に展開しますから、見逃さないようにして下さい」と注意を換気する。

すると中には「イャヤ、ユタムニイシャ」(ユタの戯言)と言われる方もいるが、私はそのような事実を何度も目にしているので、私が目にしたことを率直に話しているだけである。

系図を作成する現場に立ち合えば、誰でもそのことを体験することができる。

環境が問題ではなく本人の意志が重要であることを。

人のせい、環境のせいにする人は、自分に主体性がなく、責任感がないため逆に環境に支配される。

そう!環境をコントロールできない人は、環境からコントロールされる。

環境が変わらないと自分は動けないと言い訳が始まる。しかし、よく考えてほしい。我々は植物人間ではない。植物は自分の生存をすべて環境に依存している。だから、環境が整わない何ひとつ身動きできない。受粉さえ、昆虫や風の力を頼って生存している。

しかし、本来の人間は植物人間ではなく、自分で環境を選択し、自分の意志で環境が自分に適応するように働きかけることができる。だから、それは選択の問題である。植物のように環境に完全に依存して生存するか、逆に環境が自分に適応するように働きかけるか、どちらを取るかは本人の意志選択の問題である。

だから、系図の相談に来られる方で、いつも環境のこと(自分は若い。知識がない、一門から信頼がない、自分は二男、三男である)などのありとあらゆる環境が整ってないことに意識を集中している人はまず系図作成はできない。間違いない。

これは逆に言えば、お金があるば作れるか、あるいは門中の事を良く知っているから作れるか、本家だから作れるのかということである。

先日、琉球放送で取り上げてくれた読谷座喜味の島袋門中の仲代千咲は女性である。しかもまだ若い33歳である。本人の強い要望で是非系図を作成したいと、球陽出版を訪れた。私の娘ぐらいの年齢なので、門中の組織に何度も立ち会った私としては、本当大丈夫かなと一抹の不安があった。しかし蓋を開けるとビックリ、今までほとんど親戚付き合いもなかった人達と偶然に遭わされ、系図の話しをすると積極的援助してくれ、全く無の状態から門中の元祖そのルーツもどんどんに明らかになりつつある。

だからここでハッキリ言えることは無責任の状態では物事は何も始まらないということだ。右にも左にも転ぶような状態では絶対に系図は作れない。自分で作ると決意すること、自分が主体となり責任を持つという事である。そうして初めて環境が整うという事である。そこからしか作業は始まらない。責任をもって、まず第1歩を踏み出す事。すると必ず環境は整えられると信じて歩む、これが結論である。

後で分かった事であるが、これはユダヤ人の元祖アブラハムの信仰ともつながる。細かい事は後日是非紹介したいが、系図を作成していると聖書に書かれている事が、よく分かるようになると感じる今日この頃である。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:15Comments(0)キリスト神学と系図
 

2012年03月09日

呉屋さんは沖縄のマタイだ

昨日、琉球放送の6時のニュースのテレビ番組で球陽出版が取り上げられた。番組終了後、テレビを見たという電話、メールでの問い合わせが相次いだ。終了後ヤフーで「球陽出版」と検索してみたら、なんと1,110万件もヒットした。通常190万件ぐらいヒットするが、昨日の反響は半端な数字ではなかった。系図を作成したいという申し込みも2件あった。

テレビ番組を見た感想が数多く寄せられる中、「何故ユタを信じるか」の著者である友寄隆静氏より、「番組をみて、金城米子さんが呉屋さんは沖縄のマタイだ」と言った言葉を思い出したと、メールがあった。

マタイか!おもしろい表現だな。

聖書を読まれたことのない人にはピンとこないと思うが、新約聖書の四福音書を書いた一人である。福音書とはイエスがどういう方だったかをそれぞれの視点から書かれている。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四名のうち、最初に出てくるのがマタイの福音書。彼は取税人であったがイエスに出会い、イエスをメシヤ(救い主)として受け入れた。彼の福音書はユダヤ人向けに書かれている。

ユダヤ人達が待ち望んでいた救い主は、イエスであり、かつてユダヤ人達を奴隷から解放し、律法を与えて救ってくれた主なる神が、今イエスを通して顕現し、神の福音を伝えているのだと説いた。旧約に書かれていることはイエスを通して成就している。だからイエスをメシヤとして受け入れるようにユダヤ人に迫った。

そして彼の福音書はイエスキリストの系図から始まる。神の血統がいかに引き継がれてきたかを淡々と語り継ぐ。

彼の焦点にあるのは、常に契約の民ユダヤ人だ。

考えてみれば、私の系図作りも、常に沖縄人だ。いつも沖縄が念頭にある。そして沖縄の救いがどこにあるのかいつも探し求めている。球陽出版を立ち上げた時も、沖縄の精神文化の原点を求めてを会社のモットーとした。

そして2年ほど前に「おきなわルーツ紀行」の本を発行し、一人の敬虔なクリスチャンの出会いから、キリストと出会い、救いが何たるを教えられた。

以前は何故、拝みで人が本当に救われるか非常に疑問だった。拝みで全てが解決すると言うなら、誰も仕事に勤しみ必要はないではないか。そうなると皆が拝みだけをして、世の中は拝みだらけになる.それでは世の中が成り立たない。拝みは非科学で、信用に足りないと思っていた。

しかし、キリスト教を学ぶにうちに、ユタがやる拝みとキリストの拝みは全く違うものである事を発見した。仏教にしろ、ユタにしろ拝みは共通している。つまり呪い祟りが自分に降り掛からないように、ひたすら熱心に祈る。しかし、十字架上でのキリストの祈りは全く違う。呪い、祟りが自分に降り掛からないように祈ったのでなく、逆に呪い、祟りは全部自分だけにかけてくれと祈った。罪は全て自分一人で請け負うから、彼ら(自分以外の全ての人)には負わせないでくれ、と創造主なる神に懇願した。そこで神と人間との和解が成立した。

三浦綾子の「道あるき」「塩狩峠」を読みながら、自分の命を犠牲にしても他を活かす愛、この自己犠牲の愛に触れた時、キリストとは何か、神の愛とは何かを知らされる思いがし、涙が留めも無く流れ出た。キリストの愛を通して神の愛を知り、それが人間が本来持っていた姿であることを知った。

去年の東日本大震災以降、人々の意識に大きな変化が見られる。誰もが失いつつある「絆」を何とか取り戻そう必死である。家族の絆、親子の絆、夫婦の絆、地域の絆、日本人としての絆、そして世界が日本と一つであり、世界が日本の痛みを共有しているのだと、人間として絆を深めようとしている。

このような時こそ、キリストに仕えるものは、一見絶望にしか見えない十字架上でのキリストの姿を仰ぎみ、イエスが何に希望を見出し、人々に希望を与えたのか、謙虚に学ぶときではないだろうか。イエスが見出した希望は間違いなく神である。

私も球陽出版を立ち上げて満6年、ここにきてようやく沖縄の精神文化の原点、天地創造の神とようやく出会ったような気がする。系図作成は私にとって、まさに修行の場である。ひとつひとつを完成させることによって、一歩一歩神に近づいているような気がしてならない。

何よりも先を歩まれる先輩方より、少しでも認められるお言葉を頂くことはこの上なく嬉しい限りである。