2012年04月22日

魚氏宮城家の清明祭に参加しました

魚氏宮城家の清明祭に参加しました沖縄では四月は清明の時期に入っています。清明の節(4/4)に入って、最初の日曜日から、おそらく地域によってまちまちですが約1ヶ月ぐらい続きます。しかし、基本的にはどの門中も一緒で、まず最初に執り行うのが、門中の元祖を参拝する門中清明祭をやり、その次の日曜日から、分家した家族ごとに分家の立ち口を参拝します。

今日参拝したのは魚氏の宮城家の歴代の先祖を祀っているお墓です。糸満市まえさとにあります。魚氏の総本家のお墓は、識名霊園の中にあり、清明の節入後最初の日曜日に一門全体で参拝されたと思います。今日はその二代目の分家筋にあたる宮城家の歴代の先祖を祀っているお墓を参拝しました。


魚氏宮城家の清明祭に参加しました魚氏を有名にしているのは、分家筋の方から「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷を輩出していることです。伊波普猷は明治9年生まれ、民俗学、言語学、歴史学者として知られ、古琉球のおもろ研究は彼の名を世に知らしめました。敬虔なクリスチャンであったことも良く知られています。琉球讃美歌を歌っている具志堅ムツコさんが、よく色々な集まりで沖縄語の「主の祈り」を作ったのも、伊波普猷です。本家は多賀良家ですが、その分家筋にあたる許田家から分かれが伊波家になっています。ただ氏集には伊波家の記載はなく、明治34年以降、中本家の許田家より分家したと思われます。


魚氏宮城家の清明祭に参加しました今日参拝したのは、許田家の初代の兄弟にあたる宮城家のお墓です。良く兄弟は顔形は似るといいますが、兄弟門中を比較すると非常に良く似ているように感じます。それは顔形というより、その人達の生き方が非常によく似ています。何故伊波普猷が49歳で、沖縄県図書館長という役職も投げ捨てて、東京に上京したのか、よく分かります。個人情報に関わるのでこれ以上のことは書けませんが、似たようなことが、分家筋の至る所で見受けられるます。

しかし、沖縄を代表する偉人を輩出した一門なので、表の顔だけでなく、身内として顔も、系図を作成していると教えられます。色々と勉強になります。系図作成の依頼は、宮城家のさらに分家筋にあたる糸数家です。その糸数家は宮城家から分家して、現在与那国に住んでおられます。そこの実家は以前にテレビドラマで有名になったDr.コトー診療所の撮影現場としても使われた家でもあります。そして、与那国に移住した二代目の繁さんは「海と老人」の映画の主人公としても映画放映されました。先祖の歩んだ道を、これからの子孫にどう伝えるか糸数家の系図作成を通して現在奮闘中です。


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Posted by 呉屋弘光 at 22:06│Comments(0)那覇士族
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