2012年03月10日

系図作りは信仰が試される

「沖縄の伝統系図を作成します」と看板を掲げ球陽出版を立ち上げて、満6年今年で7年目に入る。毎日、電話での問い合わせが2〜3件ほどあり、年間だと1,000件近い相談を受けている。毎週一人平均、自分で作った資料・戸籍などをもってきて、どのように整理したらいいかのとの相談も受ける。月平均2件ほど系図を作成しており、もう既に作成したのは120件を越えた。

過去6年間を振り返ってみると、系図を作成できる人と、作成できない人には大きな違いがあることに気づいた。これは系図作成を始めて1年ほど経った頃、一時期ブームになった「引き寄せの法則」をみて、自分の系図作りにそっくり適応できることに知ってからのことである。

系図を作ろうとしても、何故、系図を作りたいのかその理由が明確でない人は、ほとんど作成できない。

自分はこうこういう理由でどうしても作るんだと言う人は、お金を持っていようがなかろうが、あるいは知識が豊富であろうがなかろうか、年をとっていようが若かろうが、あるいは女性であろうが、本家であろうが分家であろうが、長男であろうが、二男、三男であろうが、それらは全く関係なく作れる。

問題は決意である。意志である。本人が心の底からどうしても作りたいと思っているかどうかある。

決意が固ければ、必ず環境は自ずと整えられてくる。お金がなければお金をサポートする人が必ず現れる、自分達の門中についてよく分からなければ、門中のことを一番知っている人、あるいは資料が出て来る。

系図を作成するようになってから、一番驚かされたのはこの事実である。本当に環境は本人の決意・意志が強ければ、必ず自分の前に引き寄せられるという事。お金、人脈、情報、なんでも引き寄せられる。私は系図を作るようになってから、この「引き寄せの法則」のDVDを見たとき、「なんだ、これは系図作りで私がいつも体験していることではないか」とつくづく思った。

本当にそうなんです。環境が問題ではなく、本人がどう思っているのかその意志が問題なのだ。本人が大丈夫と思っておれば、大丈夫の環境が目の前に引き寄せられ、危ないと思っておれば危ない環境が目の前に引き寄せられる。だから環境がどうなっているかは全く問題ではなく、あなたが何をしたいのか、その意志が問われる。

だから私は系図作成の契約書を交わしたとき、「これから系図作成に必要なものは貴方の目の前に展開しますから、見逃さないようにして下さい」と注意を換気する。

すると中には「イャヤ、ユタムニイシャ」(ユタの戯言)と言われる方もいるが、私はそのような事実を何度も目にしているので、私が目にしたことを率直に話しているだけである。

系図を作成する現場に立ち合えば、誰でもそのことを体験することができる。

環境が問題ではなく本人の意志が重要であることを。

人のせい、環境のせいにする人は、自分に主体性がなく、責任感がないため逆に環境に支配される。

そう!環境をコントロールできない人は、環境からコントロールされる。

環境が変わらないと自分は動けないと言い訳が始まる。しかし、よく考えてほしい。我々は植物人間ではない。植物は自分の生存をすべて環境に依存している。だから、環境が整わない何ひとつ身動きできない。受粉さえ、昆虫や風の力を頼って生存している。

しかし、本来の人間は植物人間ではなく、自分で環境を選択し、自分の意志で環境が自分に適応するように働きかけることができる。だから、それは選択の問題である。植物のように環境に完全に依存して生存するか、逆に環境が自分に適応するように働きかけるか、どちらを取るかは本人の意志選択の問題である。

だから、系図の相談に来られる方で、いつも環境のこと(自分は若い。知識がない、一門から信頼がない、自分は二男、三男である)などのありとあらゆる環境が整ってないことに意識を集中している人はまず系図作成はできない。間違いない。

これは逆に言えば、お金があるば作れるか、あるいは門中の事を良く知っているから作れるか、本家だから作れるのかということである。

先日、琉球放送で取り上げてくれた読谷座喜味の島袋門中の仲代千咲は女性である。しかもまだ若い33歳である。本人の強い要望で是非系図を作成したいと、球陽出版を訪れた。私の娘ぐらいの年齢なので、門中の組織に何度も立ち会った私としては、本当大丈夫かなと一抹の不安があった。しかし蓋を開けるとビックリ、今までほとんど親戚付き合いもなかった人達と偶然に遭わされ、系図の話しをすると積極的援助してくれ、全く無の状態から門中の元祖そのルーツもどんどんに明らかになりつつある。

だからここでハッキリ言えることは無責任の状態では物事は何も始まらないということだ。右にも左にも転ぶような状態では絶対に系図は作れない。自分で作ると決意すること、自分が主体となり責任を持つという事である。そうして初めて環境が整うという事である。そこからしか作業は始まらない。責任をもって、まず第1歩を踏み出す事。すると必ず環境は整えられると信じて歩む、これが結論である。

後で分かった事であるが、これはユダヤ人の元祖アブラハムの信仰ともつながる。細かい事は後日是非紹介したいが、系図を作成していると聖書に書かれている事が、よく分かるようになると感じる今日この頃である。



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