2012年03月25日

門中清明祭の案内ハガキが届きました

門中清明祭の案内ハガキが届きました



門中の清明祭の案内が届きました。私の門中は應氏外間子・仲伊保門中です。仲伊保門中は20年前に門中会が結成され、門中の行事のときは、門中会から、案内のハガキがきます。門中会が結成されてからは、門中の結束も深まり、若い世代も参加するようになりました。

門中の清明祭は、門中の元祖を始めとする先祖の縁のある墓を一門が揃って参拝します。

私の所属する仲伊保門中の元祖は、沖縄が三山分立時代に北山の最後の王であった攀安知王の子孫だと伝えられております。1416年に尚巴志に滅ぼされた時に、攀安知王の長男は父とともに自害し、二男は西海岸沿いに南下し、糸満の潮平の部落に逃げ延び、そこに百次門中として子孫が繁栄しています。

一方、城を逃げ延びた攀安知王の側室であった真加戸金は三男、四男の幼子を連れて東海岸沿いに逃げましたが、佐敷で捕まってしまい、危うく親子共々殺されそうになったが、寺の住職の計らいによって一命を取り留めました。その三男の子孫の分かれが西原町の仲伊保門中です。三男系統には佐敷町に安次富門中がおり、そこが直接墓の管理を行っています。

三男は外間子、四男は喜屋武久子でその子孫も佐敷を中心に福増門中として子孫が繁栄しています。安次富門中と福増門中は兄弟門中で、我々門中の元祖になる外間子を継いだのは、外間子の長男でなく、喜屋武久子の六男が養子に入っています。

外間子の長男の系統は佐敷町馬天に桃原門中としてあります。そして長男の桃原親雲上の二男の子孫が前呉屋門中として、西原町津波花に子孫がおりますが、仲伊保門中とは直接の交流はありません。

門中の清明祭は、これら先祖の墓を参拝します。

まずは仲伊保本家に集合し、まず外間子(攀安知王三男)のお墓、奥殿内のお墓(元祖外間子の世話になった墓)、真加戸金(攀安知王の側室)の墓、そして仲伊保門中が西原に移住して以来の先祖が祀られている津記多墓、今帰仁墓を参拝します。

以前は、玉陵も参拝していましたが、今は簡素化して6カ所を参拝しています。

参拝が終ったら、重箱をウサンデーして、全員で供え物を頂きながら、本家から挨拶、門中の色々な計画予定などが報告されます。

9時に出発して、PM1:00頃には解散しています。

清明蔡を通して、先祖の加護と守りを祈願し、今年の1年の平安を祈ります。

20年前に調査したときは、沖縄県内で約80所帯、県外国外で約40所帯で合計120所帯ありました。清明蔡の案内をしているのは県内の80所帯です。系図作成から20年経っているから、今はだいぶ増えているかも知れません。そして今年は門中会結成20周年の節目として、系図を作り直そうとの声が上がっております。


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Posted by 呉屋弘光 at 20:47│Comments(2)門中の伝統行事
この記事へのコメント
呉屋さま

初めてコメントいたします。
usasauと申します。県出身者ですが、現在は都内に住んでいます。

こちらのHP、ブログは知人より教えていただきました。

私は24日にバプテスマを受けたばかりの者ですが、教会員からの薦めもあり、また以前より家系図を作りたいと思っていました。
今回バプテスマ後からよりいっそう家系図を作らねばと言う気になり、さっそく下調べに入りました。
母方の方は結構調べられて資料もあるのですが、父方が難しく生誕地の石垣にも行かねばと思っています。

まだまだ始めたばかりでこれから勉強ですが、いずれ御社の方にお願いしたいと考えています。
これからHPの方でも勉強させてもらいます。。
Posted by usasau at 2012年03月26日 01:29
usasau さん

コメント有り難うございます。

そしてバプテスマおめでとうございます。

系図作成も私は神から授かった賜物だと思っています。
系図で分からない所があれば、何なりと連絡下さい。

喜んでお手伝いさせて頂きます。

感謝 呉屋弘光
Posted by 呉屋弘光呉屋弘光 at 2012年03月26日 07:13
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