2012年03月16日
系図の魔法の言葉「だから、何なの!」
以前に「私はツイテいる」という言葉が流行った。ユダヤ人から教えて貰った魔法の言葉として、どんなに逆境の中でも、「私はツイテいる」と絶えず唱えておけば、物事はプラスの方向に働き、自分を正しい方向に導いてくれる魔法の言葉ーそれが「私はツイテいる」であったように思う。
一時期は多くの人が試してみたと思うが、しかしこの言葉も、ただ形だけ真似て、口先だけで「私はツイテいる」と唱えても、現実は何も変わらないことが知られるようになり、最近では色あせてきた。ただ口で「私はツイテいる」と唱えても、心の中では私はツイテないと思っていれば、自分の前に引き寄せられるのは「自分はツイテない」という現実だけである。自分が心の中で思っている事しか、現実には引き寄せられない。本当に「ツイテいる」と思っていれば、「ツイテいる」現実が、「ツイテない」と思っていれば、「ツイテない」現実が引き寄せられる。
言葉にするか否かはその次の問題である。
私が系図づくりを始めてから、分かった事はまさにその事であった。色々な人達が系図の相談に来られる。しかし、系図を作成できる人と作成できない人達が出てくる。系図を作成できる人と出来ない人の違いはどこにあるのか、よくよく見比べると、その人達の意識の違いによるものであることが、良く分かる。
そう!意識が違うのである。
絶対に作りたいと心の底からそう思っているのか、まー出来れば作りたいと思っているのか、その意識の違いである。小さな事のように見えるが、結果として大きな違いをもたらす。作れない人達は、自分に主体性がなく、責任感も伴わない。責任感がないから、自分から真剣に取り組んで作ろうとせず、すべてが他人任せになってしまう。そして何故自分ができないのか、その理由を一生懸命探している。
お金がない、自分はまだ若い、自分は女性である、生活のゆとりがない、自分は二男、三男であり本家ではない、自分は門中の行事にも参加したことがなく門中のこともよく知らない、上げれば切りがない。
確かに我々が何かを達成しようとするとき、目の前に多くの障害物に出会う。その障害物を乗り越えることの出来ない人は、障害物があるから自分はできないと、自分を正当化する。問題が目の前の障害物にあるかのように言う。しかし、問題は目の前にあるのでなく、自分の心の中にある。外ではなく、内にある。
人間は人間である。自分の生存は自分が決定するように創られている。どんなに最悪の環境であろうと、それをどう受け止めるかは、本人の選択に任されている。そして選択した結果が、自分の前に現実として現れる。それは自分の思いが現実を引き寄せるからである。
お金、知識、人脈、情報すべてが引き寄せられる。本人が本当に系図を作りたいと思っておれば、それが引き寄せられ、そうでなければ違う現実が引き寄せられる。これが、私が系図づくりを始めてから発見した、大きな真理である。そこには性別、学歴、年齢は何一つ関係しない。できない人は、他人のせい、人のせいにして整ってない環境のせいにする。
しかし、環境を支配するのは自分自身である。外の環境をコントロールできない人は、外の環境にコントロールされる。お金が無いという人は、お金に支配され、知識が無いという人は知識に支配され、環境任せなので、自分では何ひとつできない植物人間になってしまう。
そうすると現実にいつも流される自分自身が情けなくなり、自分に対する誇りも無くなってしまう。最終的には自己嫌悪に陥り、喜びも希望も失い、生きているという実感がなくなってしまう。それは環境を支配するのでなく、環境に支配されるからである。
だから、私は強く言いたい。環境は自分が何がやりたいのかとは、全く無関係である。お金がなければ、つくりたいという思いを持ってはいけないのか、二男、三男であれば、作ろうとする思いを持ってはいけないのか、女性であればダメなのか、すべて答えはNOである。
外の環境はただ「あなたは何がしたいのか」と聞いているだけである。そこで「私は系図をつくりたい」と答えれば、その環境が必ず整えられてくる。お金がなければ、お金をサポートしてくれる人が必ず現れる、あるいは「この部分が分からない」といえば、その部分を良く知っている人か資料が必ず出てくる。複雑な深刻な環境は貴方が何をしたいのか尋ねているだけである。それは貴方の本気度が試されているのである。貴方さえ望めば何でも望みは叶えられる。
本当にそうである。まるでアラジンの魔法のランプのように、こすれば「ご主人様、何をしましょか」と大王が現れて、自分の願いをひとつひとつ叶えてくれる。あなたは「何を、どのようにするか」はまったく考える必要はない。「何を、どのように」には大王がやる仕事である。あなたは「私は系図がつくりたい」とその思いを伝えるだけである。
あなたがやる仕事はただひとつ「私は系図をつくりたい」と叫ぶことだ。そういう思いがありながら、色々な引っかかりがあって、なかなか素直に自分の意志を表明できない人のための魔法の言葉がある。
「だから、何なの!」
そう、この一言を言ってから、それでも「私は是非作りたいんです。」と続けよう。
こう答えよう。
お前はお金がないのでないか →「だから、何なの!」
お前は女性ではないか → 「だから、何なの!」
お前は分家ではないか → 「だから、何なの!」
お前は系図のことは分からないではないか → 「だから、何なの!」
私は過去20年の系図作成の中で、いつもこの大王が現れて、系図を完成させるのを何度も目撃した。だから、難しく考えることは何一つない。系図づくりは肩に力をいれることなく、自分の思いを大王に伝えるだけだ。大王とは自分の本心のことである。
皆さんも、系図を作成すれば、この魔法の言葉を使い、大王に会う事ができると信じている。
とにかく自分の本当にやりたいことを大王に、包み隠さず明確に伝えることである。
一時期は多くの人が試してみたと思うが、しかしこの言葉も、ただ形だけ真似て、口先だけで「私はツイテいる」と唱えても、現実は何も変わらないことが知られるようになり、最近では色あせてきた。ただ口で「私はツイテいる」と唱えても、心の中では私はツイテないと思っていれば、自分の前に引き寄せられるのは「自分はツイテない」という現実だけである。自分が心の中で思っている事しか、現実には引き寄せられない。本当に「ツイテいる」と思っていれば、「ツイテいる」現実が、「ツイテない」と思っていれば、「ツイテない」現実が引き寄せられる。
言葉にするか否かはその次の問題である。
私が系図づくりを始めてから、分かった事はまさにその事であった。色々な人達が系図の相談に来られる。しかし、系図を作成できる人と作成できない人達が出てくる。系図を作成できる人と出来ない人の違いはどこにあるのか、よくよく見比べると、その人達の意識の違いによるものであることが、良く分かる。
そう!意識が違うのである。
絶対に作りたいと心の底からそう思っているのか、まー出来れば作りたいと思っているのか、その意識の違いである。小さな事のように見えるが、結果として大きな違いをもたらす。作れない人達は、自分に主体性がなく、責任感も伴わない。責任感がないから、自分から真剣に取り組んで作ろうとせず、すべてが他人任せになってしまう。そして何故自分ができないのか、その理由を一生懸命探している。
お金がない、自分はまだ若い、自分は女性である、生活のゆとりがない、自分は二男、三男であり本家ではない、自分は門中の行事にも参加したことがなく門中のこともよく知らない、上げれば切りがない。
確かに我々が何かを達成しようとするとき、目の前に多くの障害物に出会う。その障害物を乗り越えることの出来ない人は、障害物があるから自分はできないと、自分を正当化する。問題が目の前の障害物にあるかのように言う。しかし、問題は目の前にあるのでなく、自分の心の中にある。外ではなく、内にある。
人間は人間である。自分の生存は自分が決定するように創られている。どんなに最悪の環境であろうと、それをどう受け止めるかは、本人の選択に任されている。そして選択した結果が、自分の前に現実として現れる。それは自分の思いが現実を引き寄せるからである。
お金、知識、人脈、情報すべてが引き寄せられる。本人が本当に系図を作りたいと思っておれば、それが引き寄せられ、そうでなければ違う現実が引き寄せられる。これが、私が系図づくりを始めてから発見した、大きな真理である。そこには性別、学歴、年齢は何一つ関係しない。できない人は、他人のせい、人のせいにして整ってない環境のせいにする。
しかし、環境を支配するのは自分自身である。外の環境をコントロールできない人は、外の環境にコントロールされる。お金が無いという人は、お金に支配され、知識が無いという人は知識に支配され、環境任せなので、自分では何ひとつできない植物人間になってしまう。
そうすると現実にいつも流される自分自身が情けなくなり、自分に対する誇りも無くなってしまう。最終的には自己嫌悪に陥り、喜びも希望も失い、生きているという実感がなくなってしまう。それは環境を支配するのでなく、環境に支配されるからである。
だから、私は強く言いたい。環境は自分が何がやりたいのかとは、全く無関係である。お金がなければ、つくりたいという思いを持ってはいけないのか、二男、三男であれば、作ろうとする思いを持ってはいけないのか、女性であればダメなのか、すべて答えはNOである。
外の環境はただ「あなたは何がしたいのか」と聞いているだけである。そこで「私は系図をつくりたい」と答えれば、その環境が必ず整えられてくる。お金がなければ、お金をサポートしてくれる人が必ず現れる、あるいは「この部分が分からない」といえば、その部分を良く知っている人か資料が必ず出てくる。複雑な深刻な環境は貴方が何をしたいのか尋ねているだけである。それは貴方の本気度が試されているのである。貴方さえ望めば何でも望みは叶えられる。
本当にそうである。まるでアラジンの魔法のランプのように、こすれば「ご主人様、何をしましょか」と大王が現れて、自分の願いをひとつひとつ叶えてくれる。あなたは「何を、どのようにするか」はまったく考える必要はない。「何を、どのように」には大王がやる仕事である。あなたは「私は系図がつくりたい」とその思いを伝えるだけである。
あなたがやる仕事はただひとつ「私は系図をつくりたい」と叫ぶことだ。そういう思いがありながら、色々な引っかかりがあって、なかなか素直に自分の意志を表明できない人のための魔法の言葉がある。
「だから、何なの!」
そう、この一言を言ってから、それでも「私は是非作りたいんです。」と続けよう。
こう答えよう。
お前はお金がないのでないか →「だから、何なの!」
お前は女性ではないか → 「だから、何なの!」
お前は分家ではないか → 「だから、何なの!」
お前は系図のことは分からないではないか → 「だから、何なの!」
私は過去20年の系図作成の中で、いつもこの大王が現れて、系図を完成させるのを何度も目撃した。だから、難しく考えることは何一つない。系図づくりは肩に力をいれることなく、自分の思いを大王に伝えるだけだ。大王とは自分の本心のことである。
皆さんも、系図を作成すれば、この魔法の言葉を使い、大王に会う事ができると信じている。
とにかく自分の本当にやりたいことを大王に、包み隠さず明確に伝えることである。
Posted by 呉屋弘光 at 22:05│Comments(2)
│家系図療法
この記事へのコメント
呉屋弘光様
初めてのコメントで失礼申し上げます。
小生のブログの足跡から訪問させて頂きました
『心鮮な神動』=新鮮な感動
心鮮やかに、僕の中の神が動きました
人、童神として生まれて来たならば
あなたも私も、畏れ多いですが神だと
人様の魂を崇めております。
久々というか、初めてというか、
言い知れぬ神動を頂きました。
魂が熱くなってくるのを感じます。
直前まで嫁とご先祖様のこと
お墓のこと、ユタ・ノロのことを話しておりました
呉屋様のブログに辿り着くのは奇跡に近いこと
でも、引き寄せられるように参りました
「出愛は神様からのご褒美」
天地神より素晴らしいご褒美を頂いた気がします
『出愛に神謝』
勝手に呉屋様の心琴にふれさせて頂いた思いです
ありがとうございました。
早速、読者登録させて頂きました。
また、一つ、人生の楽しみが増えました
神謝・歓謝・感謝です。
初めてのコメントで失礼申し上げます。
小生のブログの足跡から訪問させて頂きました
『心鮮な神動』=新鮮な感動
心鮮やかに、僕の中の神が動きました
人、童神として生まれて来たならば
あなたも私も、畏れ多いですが神だと
人様の魂を崇めております。
久々というか、初めてというか、
言い知れぬ神動を頂きました。
魂が熱くなってくるのを感じます。
直前まで嫁とご先祖様のこと
お墓のこと、ユタ・ノロのことを話しておりました
呉屋様のブログに辿り着くのは奇跡に近いこと
でも、引き寄せられるように参りました
「出愛は神様からのご褒美」
天地神より素晴らしいご褒美を頂いた気がします
『出愛に神謝』
勝手に呉屋様の心琴にふれさせて頂いた思いです
ありがとうございました。
早速、読者登録させて頂きました。
また、一つ、人生の楽しみが増えました
神謝・歓謝・感謝です。
Posted by 楽書字遊人 at 2012年03月20日 20:39
楽書字遊人さん
心温まるコメント有り難うございます。
読者登録も本当に感謝です。
「ことばが変れば人生がかわる」ほんとうにそうです。全く同感です。聖書の言葉を思い出しました。
はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。ヨハネによる福音書
心温まるコメント有り難うございます。
読者登録も本当に感謝です。
「ことばが変れば人生がかわる」ほんとうにそうです。全く同感です。聖書の言葉を思い出しました。
はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。ヨハネによる福音書
Posted by 呉屋弘光 at 2012年03月21日 09:28
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。