2012年03月14日

私はユタではない

5年ほど前のことである。40代前後の中年の女性が家系図のことで相談に見えられた。見るからに活発そうで、いかにも保険の外交員のような印象を受けた。何でもハキハキと包み隠さず返答される。何でも家庭内で色々な問題があり、是非系図を作りたいとのことだった。どのような系図を、どのように作成しているかを、実際に作っている他の門中の系図を見せながら、沖縄の伝統系図がどういうものかを一通り説明した。

すると、私の目を覗き込むかのように真剣な表情で私に尋ねた。

客 「以前にどこかで家系図療法というのがあると聞きましたが…」

私 「何ですか、私は聞いた事がありませんが…」

客 「ほら!家庭内で色々な問題があるときに、系図を作る事によって、それが先祖供養に繋がり、家庭も、夫婦関係も、親子関係もうまくいき、ひいては仕事も全て順調にいくようになるってことですよ」

私は、おもわず吹き出してしまったが、相手の目は真剣そのもので、それだけ彼女の抱えている問題が深刻だろうと感じた。

そこで、私は答えた。

私 「ここは家系図を作ることが仕事ですよ。私はユタではありませんから、ここでは判事(物事の吉凶を占う)を出しません。もし貴方が系図を作ることのではなく、判事の相談であるなら、どうぞユタを探し求めて、そこで相談して下さい。私は見えたり、聞こえたりはしませんから、ユタのような判事は出せません。」

すると相手は肩すかしをくらったような、私の期待はずれの返答に困った表情をした。

しかし、私は真実を相手に伝えている。

確かに過去の系図を作った経験から、系図を作成する事によって劇的に変った人達を何人も見てきた。門中では門中会が結成され、一門が一致協力して本家を支えるようになり、門中の行事にも積極的に参加する人が増え、なかなか結婚できない長男に嫁がきたとか、仕事も順風満帆に取引先も増えたとか、色々なことを見てきた。

おそらく相手もそのような答えを期待して、系図を作成すれば、全ての問題が解決すると、私が力説することを願っているのだろう。これは明らかにユタ通いの延長で私を見ている。ユタの拝みを期待しているようにも見える。しかし、私は細木数子でないし、ユタでもない。お墓参りすれば、簡単に物事が解決するとは言えない。私は目に見える資料をもとに系図を作成している。

本当にそうなのである。

系図を作成すると色々な道が開けてくるのは本当だが、だからと言って、それを目的にすると、系図はけして作れない。親子関係、夫婦関係、家庭不和があるから系図を作成して、問題を解決しようとしても無理である。見当違いである。現実逃避である。現実から逃げて、何故、現実の問題が解決するだろうか。現実に正面に向き合ってこそ、現実の問題は解決するのである。

これは系図の問題に限らず、すべての問題に共通するのではないだろうか。

現実的には色々な問題があっても、本人が本当に系図を作りたいと本当に思っていれば、それは必ず実現するし、現実的に抱えている問題を解決する手段として考えているなら、けして作ることはできない。それは現実と向き合ってなく、現実から逃れる口実に使っているからである。

先日、琉球放送の制作局のレポータ比嘉ちはるさんより、放送終了後に「家系図や門中の世界は非常に奥深く、さらに学びたい気持ちになりました。」とのメモ書きがよせられたが、本当にそうである。沖縄の系図を知れば知るほど、その奥深い真理に突き当たるようで、6年前に「沖縄の精神文化の原点を求めて」を看板に掲げて系図を手がけるようになり、その意義をますます深める日々である。


同じカテゴリー(家系図療法)の記事

Posted by 呉屋弘光 at 21:11│Comments(0)家系図療法
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。