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Posted by TI-DA at
 

2014年03月10日

今年は神学校に進学します

神学校に進学先月、私の通っているベタニヤゆいまーる教会の山内昌良牧師の勧めがあり、今年は神学校に進学することになりました。
洗礼を受けて2年目になりますが、毎週日曜日は聖日礼拝に参加しておりましたが、
先月7月より、日曜日以外に毎週水曜日の祈祷会にも参加するようになりました。
山内牧師より、神学校にも進んではどうかとの勧めがありました。

キリスト教の教えは知れば知るほど奥が深く
自分は何も知らないと、自分の無知を痛感する毎日です。
最初は自己啓発本や成功哲学に関心があり
その延長にキリスト教の教えがあるように考えていましたが
が救いの本質に関心が移っていきました。

2年間教会に通って、ようやく神学校の進学の勧めがあり
今、自分の中で新たな出発が始っているような気がします。

今回入学が決まったのは、バブテスト系の教会が運営する
沖縄実践神学校である。
学校は1997年に、働きながら学べる夜間神学校として設立されたようだ。

コースは神学科と聖書科の二つのコースがあり、
主要科目は、聖書神学、組織神学、歴史神学、実践神学の科目がある。

私は信徒養成の聖書科に願書を提出した。
毎週木曜日夜8時から9時半まで
三年コースである。

週一回であるから、しかも学校も西原にあり
事務所より車で五分の距離にある。

今年の神学生は約20名前後だと聞いているが
学生のほとんどはベタニヤ教会からの入学生のようだ。
私の所属するゆいまーる教会から私も含め5名
ベタニヤ教会から3名、合計8名も入学生であ。

私は2年間、教会に通って礼拝を受けてきたが
奉仕は一度も参加していない。

この機会に教会に対してどういう奉仕ができるか
じっくり学んでいきたいと思う。





  


Posted by 呉屋弘光 at 17:35Comments(0)キリスト教
 

2014年02月07日

ブログ再開

長い間閉じていたブログを再開することにした。2年前に洗礼を宮古バプテスト教会で受け、受洗後歩みを記録として残したいという思いで始めたが、途中でトラブルがあり、しばらく記事を書く気力を失い、ブログをみるのも嫌な思いが続いた。

今日、ふとした拍子で自分の過去のブログに目を通し、その後の心境を振り返って、今新たに情報を発信する必要を感じ、今パソコンに向って入力している。

私は受洗後、具志川コミュニティーチャーチに1年ほど通いつめたが、2年目には金城米子姉妹の紹介で、ベタニヤ教会に通うようになった。ベタニヤ教会は「親分はイエス様」で一般にも良く知られる教会であるが、現在は安謝、西原、糸満に教会がある。牧師は山内先生で、この教会は毎週土曜日に与儀公園にてホームレスへの炊き出し支援活動を、NPO法人を立ち上げ積極的にしている。

去年は、私も時間の許す限り、毎週土曜日に与儀公園に出掛けた。毎回約150名ほどのホームレスの人達が、配膳される食料を求めてやってくる。配膳の前に賛美が歌われ、神の証があり、メッセジーが牧師から語られる。困った事があれば迷わず教会にきてほしいと呼びかける。

もうこの支援活動も10年間続いている。私は山内牧師と会う前は、一般の牧師に対する偏見があった。牧師はただ日曜日の説教だけを考えて、それで生計をたてている人達だと思っていた。世間知らずで、自分の考えに凝り固まった人達だと勝手に思っていた。しかし、山内牧師の与儀公園での支援活動を通して、それは完全に間違っていると反省した。先生は聖書に書かれている事を率直に受け入れてそれを実践しているのだとハッキリと分かった。

「汝の隣人を愛せよ」「弱いものを助けなさい」イエスはそう教えているから、自分はその教えを忠実に守っているだけだと、山内牧師は言う。いまでは与儀公園で行われる青空教会のメッセージを楽しみに、いつも賛美のときに賛美に合わせて踊り出すオバアちゃんがいる。本当に教会の働きを喜んでいる。

そして今では、基地内のアメリカの教会から約30〜40名ほどの若い青年達がボランティアでやってくる。中には三線も本格的に習い、見事に引きこなし、「アワティラングトゥト、ヨーンナ、ヨーンド」一言のウチナーグチで声かけする人もいる。非常に愉快だ。皆イキイキしている。本当に喜びに満ちあふれている。

去年一年、聖書の言葉を実践するとはどういうものか、具体的に学んだ気がする。今年は2013年のこれらの体験を通して、私自身、教会に対して何の奉仕ができるのか、実際に形にするべき時がきていると感じている。

そのためにもブログを再開し、その歩みを一つ一つ記事にアップしようと思う。
  


Posted by 呉屋弘光 at 17:17Comments(1)案内
 

2012年09月11日

新刊「命どぅ宝」




新刊「命どぅ宝」

沖縄から世界平和の鎮魂歌
神との和解と赦し
著者 瑞慶山道弘
B6判 172頁
定価 1500円(税込み) 

新刊が出来ました。タイトルは「命どぅ宝」副題に沖縄から世界平和の鎮魂歌/神との和解と赦しです。この企画は去年の三月から、完成するまで1年以上かかりました。企画の趣旨は、ズバリ「救いとは何か、救いの完成とは何か」キリストの信者でなくても分かるように説明してくれと、著者の瑞慶山牧師にお願いしました。

牧師は最初戸惑っておりましたが、趣旨を説明するとすぐに納得してくれました。牧師は以前にユダヤと沖縄の風習の類似性について書いた本を発行しておられましたが、ただ沖縄の風習とユダヤの風習の類似性を説明しただけでは、人の好奇心を煽るだけで、キリストの救いと何の関係もない。もっと的確に何故十字架によって救われるのか、その解釈がほしいと言いました。

何故なら、「イエスは人類の罪を救うために十字架上で死なれた。」との説明が雲を掴むようで、何のことを言っているのか、理解に苦しみました。常識的に考えても、刑罰を与えられ、人々の晒しものにされ死んでいく人のどこに救いがあるというのか、あるのは絶望と死しかないのに、クリスチャンはどこに希望を見いだし、救いを得たというのだ。

その時、一つの事が思い浮かんだ。

確かに法的に考えると、自分の罪を誰かが代理で被り、その人に刑が執行されれば、その罪の咎を問われることはない。

なるほど!

しかし、法的は刑罰から逃れて救われると解釈できるが、良心的にそれは許されるだろうか。例えば自分が殺人の罪を犯し、それと全く関係ない人が自分がやったと名乗り出て、仮に死刑が確定し刑が執行されでば、確かに自分は罪から解放される。クリスチャンはそのような事で罪から救われたと解釈しているのか、

まったく以てけしからん奴らだ。

これでは暴力団と同じだ。組長が何人もの人を殺害し、組の手下を呼んで「お前がやったことにしろ、その代わり出所したら俺がちゃんと面倒みるから」と言いつけているようなものだ。これがキリストの救い!地球の反対側から地球全体に縄張りをはり、私は命をかけてあなた方を守ったから、縄張り料をよこせ、要求しているようなものだ!

これは小さな親切、大きな迷惑だ!

これがキリストの愛で、そのような愛が人類を救うというのか。
私は十字架の救いを自分なりに考えたとき、頭の中は混乱しそのような疑問がぐるぐる巡り、収集がつかなくなりました。

そして、もう一つ、どうしても理解できないのが、イエスを晒し者にし、市中を引き回し、嘲笑罵倒する人に、その人を許すと宣言されたイエスの言葉だ。何故だ?なんでそのようなことが言えるのだろう。この方の目からは自分を殺そうとしている人達はどのように映っているのか。

是非そこが知りたい。自分を殺ろそうととする人を絶対に赦すことができないはずなのに、何故「赦す」と言ったのか、これは演技でやれるものではない。

そこで私が考えたのが、今回の本の企画でした。

そうだ、瑞慶山牧師は宮古出身だ。

宮古の島民はかつて台湾遭難事件で、原住民のパイワン族に首を切られ多くの人達が殺された。2005年にその末裔の人達から、自分達の先祖が犯した罪を許してくれと申し入れがあったとき、それを素直に受けとめ、和解のセレモリーをやっている。何故、宮古の方々は自分達の先祖を殺した人達の呼びかけに、素直に応じたのか。このセレモリーは新聞の記事を見て知っていた。

そこで考えた。

何故、宮古の方々は自分達の先祖を殺害した人達を受け入れたのか、この出来事とかつてイエスが十字架上で自分を殺害する人達を許すと宣言されたことを重ね合わせることによって、イエスの目に映ったユダヤ達がどのようなものであったか、理解できると思った。

瑞慶山牧師には何度もお願いした。先生も関係者の一人だから、真剣に祈れば何だかの示しがあるはずだ。私も真剣だった。十字架でイエスで見たもの何か教えてほしいと、見えざる神に懇願した。瑞慶山牧師も真剣に祈り求められ、その回答を得た。それが今回の「命どぅ宝」としてまとめられた。その中で私が教えられたものは「赦し」の重要性である。

殺したいほど憎い人がいても、その人を許さない限り平安はこない。救いはない。イエスが嘲笑罵倒されながらも「私は許す」と宣言されたからキリスト教が生まれた。そして多くの人達に多大な影響を与えた。もし十字架上でイエスが「私はあなた方がやったことを憎む。絶対に許さない」と宣言したなら、どうなっていたのだろう。

いくら口先だけで平和を叫んでも、心に憎しみを持ったままでは、けして平和は訪れない。瑞慶山牧師によると、今、韓国、中国などから多くの牧師が沖縄の「平和の礎」を訪れ、異口同音に沖縄の平和資料館は、自分達の平和記念館と全く違うとの感想を持たれるようだ。韓国、中国でも平和記念館はいっぱいある。しかし、そこに展示されているのは、我々の民族は日本帝国主義に、こんなことをされた、あんなこともされたと、これでもかこれでもかと言わんばかりに、憎しみを駆り立てる展示物が陳列されている。

そこに平和は訪れるだろうか。看板だけの口先だけの平和記念館である。
心に平和がないのに、どうして平和がくるというのだろう。

心に憎しみを持ったまま相手を絶対に許さないとの思いでいるなら、それは癌細胞も同然で、その人の身体をも蝕み、後は座して死を待つだけである。救いはどこにもない。まず許すことから始めねばならない。赦しから救いははじまる。

イエスはどのような仕打ちにも耐え忍ばれ「許す」と宣言された。そしてこのように祈れと教えられた。

「私に罪あるものを赦しますから、私の罪も許して下さい」

私もキリストの救いが何であるのか良く理解できなかったが、今回の新刊「命どぅ宝」でその回答が与えられた気がする。救いに対して全く無知であった私にも分かるように導いてくれた神に心より感謝したい。

できれば、一人でも多くの方に手に取って頂き、神の御心に触れるキッカケになればと思っている。書店にはもう並べられているが、ないときは書店に尋ねれば、直に配本するようにしますから、店員に声をかけて下さい。

神はこの本を通して自らのメッセージを世界に向けて発せられているように思えてならない。

  


Posted by 呉屋弘光 at 22:22Comments(0)お知らせ
 

2012年09月10日

罪の赦し

 今日は久しぶりに与儀喜美江さんが事務所を訪ねてくれた。今、実家のある大里で小物の販売を兼ねた喫茶店を先月がはじめて、結構お客さんも増えたようだ。特に中年の女性が訪ねて「自分は何故かユダヤのことが気になって、色々と教えてほしい」と声をかけてくるとの事。やっぱり沖縄とユダヤとは深いかかわりがあるのを、日々実感する毎日のようで、信仰の友が頑張っているのを見ると、こちらも嬉しい。

 今日は同級生の友達もお店に訪ねて、「今、夫と家庭内別居状態で、夫の何気なく発した言葉で傷ついて、毎日が憂鬱で顔を思い浮かべるだけで、イライラし自分の気持ちを押さえることができない」との相談をうけたようだ。与儀さんは「理由はともあれ夫を許しなさい」とアドバイスした。

友人「どうしても許せないから、イライラしているのであって、どうすれは許せるのか!」

与儀さん「あなたの許せないという感情は、心の癌細胞のようなものだ。これは心の中でどんどん増殖し、あなたの身体まで蝕んでしまう。だから、まず声に出して「許します」と宣言してみては。イエスも自分を妬み怒りで殺そうとする人達に「父よ、彼らを赦したまえ」と祈ったではないか。イエスのこの一言があったから、キリスト教が生まれ、赦しの言葉に触れた人達は癒しを与えられたのである。十字架上でイエスが「私にやった仕打ちを私は絶対に許さない」と言ったら、人類に救いはないのでなかったか。」

だから貴方も夫に対して声を出して「許します」と言ってみて下さい。

誰に対して言うか。神に対してである。

そこで、主の祈りを紹介したようだ。「私は夫の罪を許しますから、どうか、私の罪も許して下さい」と。そして次の言葉も添えて言うように勧めた。「国と栄えと栄光はいつまでもあなたのものです。」これはこの世で起こる事は、全て神の栄光が現れる為に起こっているという認識です。

これはクリスチャンとノンクリスチャンの決定的な違いである。キリストに信仰のないものは全てを原因と結果で物事を理解する。夫がこんな事を言ったから、私はこんなに苦しんでいるんだ。こんな原因があるからこのような結果になったのだと考える。言わば因果応報的に考える。問題なのは、それ以外の考え方は存在しないと完全に思鋳込んでいる。

しかし、キリストは別の見方があることを教えてくれた。生まれつき盲人を見て、弟子達はイエスに尋ねた。「これは誰が悪いのでしょう。本人の犯した罪の報いですか、それとも、先祖の犯した罪の報いでしょうか」。イエスは答えた。「これは本人でも先祖の罪でもない。神の栄光が現れるためだ。」そして盲人は癒され、目が見えるようになった。

そうです。キリストの見方は我々と全く別の視点に立っている。苦難は原因・結果にあるのでなく、神の栄光が現れるためだと。だからどんな苦境に立たされても、たとえどうしても許せないと思っても、声に出し「私は許します。どうか私が罪を許したように、私の罪も許して下さい。すべては神の栄光が現れるためです。

特に沖縄の女性は、何か悲惨なことが起これば、「これは何代前の先祖の供養がなされてないから不足が立っている」とユタから急かされ、拝みに走るケースが多いような気がする。しかし、祟りは絶対にありませんから、キリストが教えてくれたように「私は許します。私が許したように私の罪も許して下さい。」と神に呼びかけてみよう。神は必ずその祈りに応えてくれます。

与儀さんの話しでは友達も、見る見るうちに心が穏やかになり、喜んで帰られたようだ。これからは日々の暮らしの中で「あ〜、このことを自分に気づかせるためにこうなったんだ。なるほど」と。神の栄光を見るように祈りたい気持ちになった。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:39Comments(0)キリスト教
 

2012年09月08日

ハーベスト聖書塾 第13期沖縄塾 本日開講




第13期生ハーベスト聖書塾が本日沖縄グレイスチャーチで始りました。沖縄での開講は今回が2回目で、21名の受講生です。ハーベスト聖書塾は中川健一牧師が、イエス・キリストの大宣教命令に従って、聖書の内容を教え、弟子訓練を行うことを目的に活動しています。この聖書塾の特徴は、ヘブル的視点から聖書を学ぶことにあります。

 聖書を本格的に学ぶのは、私にとって初めて体験です。キッカケも去年2月に再臨待望聖会に参加し、ハーベスト・ミリストリーの働きを知りました。そこで会場で販売されていた「出エジプト記」のCDを5巻買い求め、50枚のCDをすべて聞き終えて、ユダヤの言っている神と、ユダヤ人以外(異邦人)の拝している神は全く別ものの神であることを知りました。異邦人の神は人間が創りだした神であり、選民が言っている神は、生きて働きく実存する神であることを知りました。
 
 ユダヤ的視点から見ないと、聖書はよく分からないということが理解できました。それからフルクテンバーグ博士の「救いとは何か」の東京での2日間のセミナーも参加しました。その翌月から、うるまバプテスト・コミュニティ・チャーチのムーン理枝先生の中川牧師の教材を使った成長セミナーも3ヶ月間12課受け、新約の福音が何かよく分かるようになりました。そして11月27日洗礼もうけました。

 どこの教会にも行った事がない者が、牧師に自ら申し出て洗礼を受けたことは珍しいことではないかと思います。私にとってユダヤ人達が信じている生きて働く神、天地を創造それた神と、ある出来事を通して出会った体験をしました。だから、神は死んだ神ではなく、私達人間に、我々と同じような感情をもち、そして明確な意志と考えをもって、呼びかける神であることを体験しました。キッカケはすべて中川牧師のメッセージ・スーテションで語られているメッセージです。

 聖書を一度も読んだ事のない人でも、いつも文脈を確認しながら、今何を語ろうとしているか、明確に示されるので聖書に何が書かれているか非常に良く分かります。だから一度も教会の礼拝にいったことがなくても、聖書で語られている内容がよく理解できるようになります。今日、中川牧師より「学びはどうですか」かと声をかけられ、自分でも不思議なくらい今まで全く知らなかった事が、よく理解できるようになりましたと答えたら、「それは霊的に覆われていたものがとられたからだ」と教えていただきました。

 今まで60年近く全く理解出来なかったものが、ここ1年の間に何でここまで理解できるようになったのか不思議な体験をしています。これは取りも直さず異邦人の時が満ちて、神ご自身が一人一人に直接お声をかけているからだと思います。心の中で何か知れない胸騒ぎを覚える方、是非中川牧師の弟子訓練に耳を傾けて下さい。神ご自身が中川牧師を通して直接貴方に語られると思います。

 霊的に先行きが見えず混沌としている日本に、神は良きメッセンジャーを備えて下さったと神に感謝しております。今日は第1部アブラハム、第二部イサク、第3部ヤコブ、第4部ユセフの講義がありました。聖書塾は今年いっぱい続きますが、次回の講義も本当に楽しみです。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:40Comments(0)キリスト教
 

2012年06月18日

劇団やしなみ木第二回伝道公演




ユタからキリストへ(神から直接導かれた沖縄のユタの体験劇)


昨日、劇団やしなみ木による沖縄芝居「ユタからキリストへ」の公演があり行ってきました。もともとユタだった金城米子さん実体験をもとに、沖縄芝居風にアレンジしたもので、見事なものでした。糸満市阿波根にあるゆいまーる教会には約150名の人達で賑わいました。

礼拝堂はぎっしり詰まり、立ち見客も会場からあふれんばかりの盛り上がりでした。今、沖縄では考えられない事が起こっています。沖縄のユタが改心してキリスト教を受け入れたことが不思議なことではなく、かつてユダヤ教、キリスト教を導いてくられた天地創造の神ご自身が、世界地図にも載らないよう小さな沖縄のユタに直接語りかけ、導かれているという事実です。

米子さんが何故キリストを受け入れるようになったのかは、以前にブログでも書きましたが、ユタ現役の頃、突然に「霊と誠をもって汝の主に仕えよ」とか色々と聖書のみ言葉が聞こえるようになり、特に一番末子に障害をもった子どもが生まれた時に、治療の為に出費が重び、お金に困窮し、母子心中で佐敷の海岸で入水自殺を計った事がある。その時に海に飛び込んだものの、気がついたときは浜に打ち上げられ、その時暗闇の中から、十字の光が差し込み、「汝は、本当に救われたいか」との声が聞こえた。

恐る恐る「貴方は誰ですか」と尋ねた。すると「私はありて在るものである。」との答えが返ってきた。

考えられますか!

「私はありて在るもの」

この言葉はユダヤ人の解放者モーセがシナイ山に導かれ、燃え盛る柴の炎の中からモーセを呼ぶ声が聞こえ、その時「あなたは誰ですか」と尋ねたときに語られた言葉である。キリストも「あなたのいう神とはどういう神か、見せてくれ」と言われた時に、似たような言葉で返答した。

「われを見しものは神を見たものである」
「私に神がおり、神に私がおることをあなたは知らないのか」と。

言わばユダヤの神、キリストの神が
今、沖縄のユタに直接語られ導かれているのである。

そう!

信じられない事だが、これはユダヤ教キリスト教を導かれた神と全く同じ神が、ユダヤの地と反対側にある沖縄の地に直接に声をかけるというありえない事が現実に起こっている。私自身も米子さんと似たような経験をしたので、直感的に分かる。

去年の12月に発足したばかりの、劇団やしのみ木であるが、昨日の公演を見ていると、プロ顔負けの名演技ぶりであった。特に金城米子役の上原理恵子の名演技ぶりは見事なもので、入水自殺未遂の後、神より教会に行くように促される場面では、会場から思わず拍手喝采が起こり、目頭をハンカチで押さえている婦人たちの姿に私も思わず涙が流れた。

神よ、何と言う祝福か。
このような劇団を立てて、神の福音を宣べ伝えて下さり
ただただ感謝である。

伝道公演を企画し運営された一人一人に
さらなる神の恵みと導きがあられんことを
心よりお祈りします。

本当に有難うございました。
沖縄はこのような恵みに預かり本当に幸せ者です。  


Posted by 呉屋弘光 at 16:04Comments(1)キリスト教
 

2012年05月29日

沖縄タイムス 文化面でも取り上げられました



今日の沖縄タイムスの文化面(19面)、魚眼レンズの記事で、野津さんの画集が取り上げられました。画集を発行した球陽出版の代表として、インタビューに答えました。さすが新聞記者です。こちらが言いたい内容を簡潔にまとめてあります。

画集を発行するのは、初めてであるが、私は「沖縄の精神文化の原点を求めて」をコンセプトに本づくりをしてきた。歴史はまだ浅いが、会社に来社される方は、大きな出版社のイメージでみえられるが、出版業界自体が売上げ高からいくとそれほど大きいものではない。沖縄は出版社は九州では福岡についで多い。沖縄だけで約30〜40社ほどある。ほとんどが個人か、夫婦か、家族でやっている所が多い。

球陽出版を立ち上げて7年ほどなるが、私個人で頑張っている。営業で二人パートで手伝ってくれる人がいるが、経営は私一人である。定期的に新聞に広告を出しているせいか、知名度は老舗の出版社と肩を並べるぐらいになっている。

何かを企画したときは、アスコミが取り上げてくれるので、非常に助かっている。

その中でも今回の画集は、本当に大きなウェートを占めている。野津さんの絵を通して、「生きた命」とは何か、何が「命」に輝きを与えるのか、描かれた作品のひとつひとつから教えられたように思う。その感動が伝わるように、野津さんの絵にかける思いを見開きで綴っている。85歳の方が描いたものとは思えない作品の迫力に圧倒されるであろう。

野津さんにはいつまでも元気で、「命」あふれる作品をどんどん発表してほしいと願っている。  


Posted by 呉屋弘光 at 09:51Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年05月28日

野津さんの画集 タイムスで大きく取り上げる



いや〜ビックリしました。
今日の沖縄タイムスに野津さんの画集が23面のくらし面で大きく取り上げられました。当初書評で取り扱ってくれないか、文化部の方に依頼していましたが、作品集は書評に向かないから、文化くらしの面で取り上げるということになりました。どうせ一段の付き合い程度で扱うのだろうと思っておりましたら、4段ぬきの画廊の風景も大きな写真で扱ってくれました。破格の扱いです。一人でも多くの人に野津さんの作品の素晴らしさを知って貰いたいと願っている私としては、本当に嬉しい限りです。

私と野津さん(中央)米子さん(向かって一番左)の側に展示されているのが野津さんの100号の作品です。真近に見ると本当に迫力があります。これらの作品は写真がある訳でもなく、すべて野津さんの頭の中にあります。写真にあるのを絵画に置き換えたということではありません。昭和10年代の自分の生まれ故郷が鮮明に頭の中に思い浮かべることが出来ると言います。心を静思していると、風景が鮮明に思い浮かび、ひとつの通り道を過ぎると、そこに何があったのか、ひとつひとつの情景がハッキリと思い浮かぶというのですから、尋常ではありません。今から60年、70年前のことが脳裏に鮮明に思い浮かべることができるのですから。

65歳で定年退職をされてから、本格的に油絵を始めて、これだけの作品を世に送り出しておられる訳ですから、本当に凄いです。沖縄だけでなく、今回の画集の注文も東京、大阪をはじめとする県外からの注文が多くあります。

現在、沖縄本島の各書店で販売していますので、是非ご覧下さい。

先日は、地元沖縄からの注文も相次ぎ、野津さんのサイン入りのがほしいとの問い合わせもありましたので、野津さんにお願いして、野津さん直筆のサイン入りの画集も用意しました。

もし球陽出版のHPで注文されるとき、「直筆のサインもほしい」とコメントと頂ければお送りします。

くらし面で紹介して頂きました沖縄タイムス学芸部黒島美奈子さん、
本当に有難うございました。

くらしで扱うのもインパクトがあって、非常に良いように思いました。

野津さんの作品が、一人でも多くの人に触れる事ができるようよう願っています。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:31Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年05月21日

緊急告知 子犬差し上げます

3月8日、我が家の愛犬チビチャンに子どもが6匹生まれました。チビチヤンは琉球犬の血が混じっておりますので、毛はまるで猫のような模様をしています。琉球犬は耳が、まるでネズミのようにピンと立って、鋭い顔をしています。散歩をさせていると「オオカミ」だと言われることもあります。

日、夕方は西原の中央公園で約一時間ほど散歩をさせています。非常に人なつこくて、尻尾が千切れないかなと思うほど尻尾を振りながら人に近づき、頭をなでられています。最近では「可愛い」という言葉も覚えたのか、その声を聞くと尻尾を降りながら近づいて行き、見知らぬ人にでも頭をなでてくれ言わんばかりの仕草をします。

もう3ヶ月が経ち、ようやく乳離れをして、ミルクもよく飲むようになりました。そして一人一人の個性もハッキリしてきました。本当にカワイイです。犬と接していると癒されます。

愛犬家で犬好きな方、差し上げますので是非連絡下さい。

連絡は下記のメールで宜しくお願いします。

ost@bridge.ocn.ne.jp  


Posted by 呉屋弘光 at 09:57Comments(0)お知らせ
 

2012年05月19日

行ってきました細川ガラシャのミュージカル公演



今日、細川ガラシャ〜命、輝いて〜のミュージカルに行ってきました。全席自由席の昼の部と夜の部の2回公演でしたが、夜の部に行きました。会場は浦添市てだこ大ホールで、席はほぼ満席でしたので1,000名ぐらいのお客さんが見たと思います。昼の部も会場に入れないぐらいの反響だったと聞いていますので2,000名の観客動員があったと思います。

私は何故か野津唯市さんの画集を発行してから、「命」の輝きについて意識が集中するようになりました。野津さん作品で発見したのは、「命」の輝きは「絆」であることの気づきです。野津さんの作品に描かれている人は、すべてが生き生きとしています。躍動感があります。本当にひとりひとりが輝いています。

その輝きがどこからくるのか、いつも考えるようになっていました。野津さん描いている作品には一人一人のストーリがあります。この人はこういう人、そしてこの人とこの人はこういう関係であると、人物の背後に物語があり、それが完全にひとつになっています。そこに安らぎと平安があります。その中に躍動感があります。それは戦前の沖縄がそうであったということではなく、お互いの絆が深ければ深いほど、人は生き生きとしてきます。野津さんの作品を見ればそれがよく分かります。

しかし、今日のミュージカルはそれとは全く別の角度から、人間の「命」が輝くのは神と繋がった時だと理解しました。神と人間との「絆」が深ければ深いほどその人の「命」が輝くものであるという事を、細川ガルシャの生き方を通して教えられました。何故十字架に架けられたイエスが、信徒の希望の光となり、勇気を与えているのか、それは神とイエスとの「絆」があったからだと思いました。神との絆を見出した時、いかなる困難があってもそれを乗り越える力になるということを、今日の公演を通して感じました。

素晴らしいミュージカルを企画して頂きました関係者の皆さん、本当に有難うございました。このような企画が沖縄で公演されるとは、本当に沖縄は幸せ者です。神の導きに感謝です。  


Posted by 呉屋弘光 at 22:41Comments(0)信仰
 

2012年05月17日

てぃーだブログで野津唯市さんの特集が始まりました



今日から野津唯市さん画集の特集が組まれております。野津さんは知る人ぞ知る沖縄の画家では最も著名な方です。野津さんが出展している展示会では、多くの人集りができることでも知られています。それも年輩の方だけではなく、若い人の行列もできます。

人はこの作品のどこに惹き付けられるのでしょう。

野津さんの常設ギャラリーのオーナである稲福米子さんから、次のような話しを伺いました。イギリスに留学している若い女性が一時沖縄に里帰りで、ギャラリーを訪れ、野津さんの作品を見て「鳥肌が立つほど感激した」との話されたとの事。私はこの話しを聞き、何が人にこれほどの感動を与えるのか真剣に考えてみました。

沖縄をいったん出て、又沖縄に帰ってきたから、外から沖縄を見つめると感動するのかと単純に考えておりました。しかし、それだけでは説明がつきません。確かに二科展をはじめとする多くの会場では、年齢に関係なく、色々と作品について説明を求められるようです。

私も本を発行してみて、ようやく作品のもつ魅力が分かってきました。

描かれているのは戦前の与那原を中心とした庶民の生活ですが、単なる風景画ではありません。描かれている自然、人、牛、馬がすべて生き生きとしています。私は野津さんの作品を通して「命」には輝いている命とそうでない「命」があることを知らされました。

そして「命」を輝かせているのは「絆」であることも知りました。人は「絆」が強ければ強いほど「命」は輝きます。弱ければ光を放つを止めます。「絆」はお互いがお互いを必要としていることをハッキリと自覚し、互いがひとつになっている状態だと思います。

私は戦後生まれですが、しかし記憶の奥底に、皆が心はひとつで繋がっていたような思い出があります。貧富の区別なく、年齢に関係なくお互いの存在を認め合っていたからこそ、「命」が輝き、誰もが生きているという実感を持っていたのではないでしょうか。

それは物が豊かだったか貧しかったには関係ないように思います。物が貧しかろうが豊であろうが、「絆」が強く結ばれておれば、「命」は輝きます。自分は生きているという実感が湧くのではないでしょうか。

野津さんの作品は、「絆」「和合」の大切さを描かれた一人一人の表情から教えられる画風になっています。

是非、野津さんのインタビューをお聞き下さい。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:37Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年05月17日

沖縄タイムスより野津唯市画集の取材申込がありました




琉球新報4月29日文化面


野津唯市さんの画集「懐かしい未来 沖縄」を書評で取り上げてもらうよう編集局学芸部に依頼しておりましたが、芸術作品集は書評で扱う事ができないから、文化面で記事として紹介することになった。前回は琉球新報4月29日の文化面で取り上げてもらったが、書店から追加注文も問い合わせがありました。南風原、那覇、名護の書店からの問い合わせで、すぐに補充しました。

新城喜一さんも新星出版から画集をだしておられますが、何故書評で取り上げないのだろうと不思議に思っておりましたが、芸術作品と文学作品では取り扱いが違うということを、今回の件でよく分かりました。

できれば出版という大きな観点から、出版が社会に与えるインパクトとして取り扱って頂けないかと切に願っております。実際問題、発行者の立場からすると、自分の思いを文字で表現するか、画で表現するか、表現する手段は違っても、本という同じ媒体ですので、同じような評価で取り扱えると思います。

何はともあれ、5月23日の取材申込がありましたので、一人でも多くの方に野津さんの作品に触れて頂きたいと願っております。二科会の西村先生によると、今アジアからも注目を集めているようです。  


Posted by 呉屋弘光 at 13:42Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年05月11日

野津唯市出版祝賀会



本日山の茶屋に常設されているギラリーで画集の出版祝賀会がありました。野津さんの作品は戦前の沖縄を知っている年輩の方々だけでなく、若い世代にも非常に人気があります。二科会の会員の方も多くいらしっやいました。年齢層は幅広いものがあり、性別も関係なく多くの人に指示されているように思いました。

祝賀会には、政治の世界で著名な仲本安一もいらして下さいました。二科会の展示会で野津さんの作品に触れ衝撃を受けたとの事で、先日の新聞広告に出ているのを見て、山の茶屋に連絡を取り、画集も買い求められたとの事でした。私は仲下さんの話しを伺いながら、沖縄人は根底において皆繋がっている、沖縄はひとつなんだと実感しました。

実は仲本さんは以前に私の会社に一度電話されたことがあり、出版のことで色々とお話したことがあります。本人に話すとよく覚えておられました。そして私が西原町の我謝出身だと知ると、元知事の平良幸市の葬儀の時は、自分が実行委員長を務めたと話して下さいました。何を隠そう、私の実母と平良幸市さんとの又従兄弟の関係に非常に近い親戚です。当時は私は新婚旅行から帰ったばかり良く知りませんでしたが、その節は大変お世話になったことをお礼を申し上げました。懐かしい大学生の頃、比嘉朝進さんとも親友とのことで、祝賀会で会うのも奇遇だとしきりに話しておられました。


来賓の挨拶に、西村貞雄さんが二科会支部長として、野津さんの作品の特徴を話してくれました。二科展でも非常に話題を集めており、やはり展示会では野津さん作品の前には人集りができ、作品ひとつひとつを真剣に見入っているのが、印象的だと話して下さいました。物腰がやまらかく、二科展の皆さんに紹介してくださいました。芸術の作品には疎い私ですが、今回は芸術の持つ力をまさまざとみせつけられました。


編集を手伝った小林ゆうこさんも出席予定でしたが、転倒して大怪我をして来れないとのことで、米子さんの息子が東京から祝電を披露しました。すかさず、野津さんのほうから「感謝しているよ、この気持ちを小林さんに伝えてくれ」と申し入れがありました。本当に家庭的な雰囲気で会が進み、和やかな感じでした。

そして、驚いた事に私のブログのファンだという大橋さんから「ブログで系図のことを勉強している。今日の祝賀会には球陽出版の代表も参加されると思い、是非お話したいと思って参加した」と声をかけて頂き、非常に嬉しくなりました。

ブログで繋がっていることを思うと非常にうれしくなります。言いたい事はそのつど記事でアップしているので、何でもツーカーで繋がっているように感じました。

祝賀会に参加して頂いた皆さん、本当に有難うございました。

ただただ感謝です。

沖縄は本当にひとつです。

神の強い導きに感謝です。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:19Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年04月23日

家系調査のため久高島に行ってきました

系図の依頼主は糸数家。久高島に住んでいる訳ではなく、本人達の実家は与那国にあります。祖父母の時代に久高島から与那国に移住しています。その一つ前の曾祖父母の代に、那覇士族魚氏の宮城家の三男普松が掟として、那覇から久高島に移住しました。どのような事情で久高に移住したかはこれからの調査になりますが、那覇士族魚氏宮城家の十世普松が分家して創家したのが糸数家で、那覇から久高に移住した屋敷跡も確認しました。


この方が、依頼主の入松川恵子(旧姓糸数さん)さん。依頼を受けたのは三年前に遡りますが、当時は自分達の親戚全員名前の最初の一字に「普」が使われているのに、それが何を意味するのか、何も理解していませんでした。私の方から「普」の名乗り頭を使っている士族は、那覇士族で「沖縄学の父」と呼ばれた伊波普猷を輩出した門中であることを伝えました。


それから沖縄の門中制度に関心を持つようになりましたが、私には不思議でなりませんでした。どうして、沖縄では名の知れた一門でありながら、末端にくると名乗り頭はおろか、自分達の氏名(うじめい)さえ知らない人達が出てくるのだろう。士族であれば、自分達の氏名、名乗り頭を知っているのは当たり前の事であって、一門ではしっかりと伝えられていないのだろうか。しかし、たとえ伝えられなくても、子どもたちが名前をつける時、何故自分達は「普」の一字が皆が使用しているのか、疑問に思い、親に尋ねることはしないのだろうか。

調査が進むにつれて、氏集には那覇士族魚氏に糸数家がないことが分かりました。氏集は士族の住民基本台帳のようなもので、約680系統の首里士族、那覇士族、泊士族、久米士族全ての記録が記載されています。明治34年までの記録ですので、その記録にないという事は、明治34年以降に、糸数家は新しく分家した一門であることが分かります。

明治34年以降に創家した分家筋であることは分かっても、どこから分家したのか、今ひとつハッキリしません。魚氏といっても家譜が五つもあり、本家多賀良家からか、分家筋の宮城家か、あるいは許田家かよく分かりませんでした。

ラジオ番組で情報提供を呼びかけると、宮城家の方との連絡が取れ、宮城家の十世三男が久高島に分家した記録があることがわかりました。時代考察をしても、伊波普猷と同年代ぐらいで今生存している人達の証言を聞いても、全てが一致します。伊波普猷は明治9年生まれであることはハッキリしていますので、同世代の宮城家三男が久高に移住していることが確認できました。

ここにきて、那覇士族魚氏の糸数家はそのルーツが明白になってきました。

調査を開始してから3年近くもかかっております。しかし、忍耐して希望を持ち続けておれば、道は必ず開けることを今日、久高を訪問して、つくづく感じました。焦る気持ちはあっても、忍耐強く待つのも、大切である事を学びました。

昨日の宮城家の清明祭参加、今日の久高島訪問と、確実に道が一歩づつ開けてきています。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:18Comments(4)那覇士族
 

2012年04月22日

魚氏宮城家の清明祭に参加しました

沖縄では四月は清明の時期に入っています。清明の節(4/4)に入って、最初の日曜日から、おそらく地域によってまちまちですが約1ヶ月ぐらい続きます。しかし、基本的にはどの門中も一緒で、まず最初に執り行うのが、門中の元祖を参拝する門中清明祭をやり、その次の日曜日から、分家した家族ごとに分家の立ち口を参拝します。

今日参拝したのは魚氏の宮城家の歴代の先祖を祀っているお墓です。糸満市まえさとにあります。魚氏の総本家のお墓は、識名霊園の中にあり、清明の節入後最初の日曜日に一門全体で参拝されたと思います。今日はその二代目の分家筋にあたる宮城家の歴代の先祖を祀っているお墓を参拝しました。


魚氏を有名にしているのは、分家筋の方から「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷を輩出していることです。伊波普猷は明治9年生まれ、民俗学、言語学、歴史学者として知られ、古琉球のおもろ研究は彼の名を世に知らしめました。敬虔なクリスチャンであったことも良く知られています。琉球讃美歌を歌っている具志堅ムツコさんが、よく色々な集まりで沖縄語の「主の祈り」を作ったのも、伊波普猷です。本家は多賀良家ですが、その分家筋にあたる許田家から分かれが伊波家になっています。ただ氏集には伊波家の記載はなく、明治34年以降、中本家の許田家より分家したと思われます。


今日参拝したのは、許田家の初代の兄弟にあたる宮城家のお墓です。良く兄弟は顔形は似るといいますが、兄弟門中を比較すると非常に良く似ているように感じます。それは顔形というより、その人達の生き方が非常によく似ています。何故伊波普猷が49歳で、沖縄県図書館長という役職も投げ捨てて、東京に上京したのか、よく分かります。個人情報に関わるのでこれ以上のことは書けませんが、似たようなことが、分家筋の至る所で見受けられるます。

しかし、沖縄を代表する偉人を輩出した一門なので、表の顔だけでなく、身内として顔も、系図を作成していると教えられます。色々と勉強になります。系図作成の依頼は、宮城家のさらに分家筋にあたる糸数家です。その糸数家は宮城家から分家して、現在与那国に住んでおられます。そこの実家は以前にテレビドラマで有名になったDr.コトー診療所の撮影現場としても使われた家でもあります。そして、与那国に移住した二代目の繁さんは「海と老人」の映画の主人公としても映画放映されました。先祖の歩んだ道を、これからの子孫にどう伝えるか糸数家の系図作成を通して現在奮闘中です。  


Posted by 呉屋弘光 at 22:06Comments(0)那覇士族
 

2012年04月16日

与儀功さんの遺言

昨日の功さんの召天式には、400名以上の方々が参列された。また納骨の儀にも、地元具志頭のお墓の前に100人以上の方々が、故人との別れを惜しんだようだ。これだけ多くの方々が参列されるのは、功さんの人徳によるものだと思うが、ずっと昔、教会に一緒に苦楽を共にした兄弟姉妹もだいぶ見えられていたようで、これだけの人達に慕われていたんだ、ただただ感謝の念で涙が留めもなく流れたと喜美江さんは、話しておられた。

召天式の最後に、親族を代表して喪主の喜美江さんから、興味深い功さんとの体験談が話された。功さんは一ヶ月近く意識不明の昏睡状態であったが、去年の暮れまでは元気であった。元気な頃、功さんは喜美江さんの顔をマッサージしてくれた事があったようだ。ウトウトするうちに、目が覚めたら1時間近く経っており、その間一生懸命顔のマッサージを続けていたようである。箸を掴むことさえままならない病弱な体力であったが、ただひたすらマッサージをしてくれた。

そして、功さん曰く

「自分はここにきて、人間に一番必要なものは愛だということが良く分かった。お前は顔の筋肉が固いから、何時もしかめ面に映る。だから人から愛されるように努めない。そのためにも、けして笑顔を絶えしてはいけない。人に接するときは笑顔で接しなさい」と。

おそらく、病状が日に日に悪化の一途を辿り、どうしてこうなるのか、不幸を全部自分一人で背負っているかの如く顔色も曇っていたかも知れない。その緊張を少しでもほごそうと、必死の思いで、マッサージを続けていたのだろう。

私は、彼女のその体験談を聞きながら、かつてイエス・キリストが十字架に架かるその前の日、12名の弟子を集めて、最後の晩餐の時に、弟子の一人一人の足をご自分の手で洗いながら、お互いが愛し合いなさいと戒められた状況と重なってきた。

人は自分自身に固執すると、周囲が見えなくなり、世の中の不幸を自分一人で背負っているように錯覚する。「なんで、私だけが」と考え、他と比較し始め、不平不満を口にする。やたら正義を連発するようになり、「自分は正しい、間違っているのは彼らだ」と責任を転嫁する。そのような自分に誇りが持てなくなり、自己嫌悪に陥る。自己嫌悪に陥ったら、顔もこわばり、きつい顔になり周囲を増々寄せ付けない。

かつてのイエスの弟子もそうであった。自分が偉い、自分は特別なんだ、と自我意識が強く、お互いがお互いを見くびっていた。私の方が絶対にこの人よりは偉いんだ、自我意識の固まりだった。だから互いが助け合う、支え合うことはなかった。そこでイエスは言われた。「私は仕えるためにきたのであって、仕えられる為にきたのでない。先生である私がそのようにやったのだから、あなた方も、そのようにしなさい。」と。そして、一人一人の足を洗われた。これは個人のプライドがあるとなかなかできない。プライドが完全に無くなった時にできる。自分は神の子だとのプライドがあると、なかなか弟子ひとりひとりの足は洗えない。

だから、個人のプライドを捨てて、お互いお互いに尽くし合うことの大切さを、身を以て示された。

功さんも男だ。私も同じ男として功さんの気持ちは良く分かる。男としてのプライドがある。なんでわざわざ自分の妻のために、病弱な体を鞭打って、1時間近くも、妻の顔のマッサージをしなければならないんだ。そんなことをすると自分が惨めではないか。自分が哀れに見えるのではないか。色々な思いが錯綜する。

個人のそのようなプライドがすべてふっきれたときに行動に出れたのではないだろうか。

それは少しでも顔の表情を和らげて、皆から慕われるように振る舞ってほしい、との思いではなかったのだろうか。

私はふと思った。

まさに2000年前にイエスのとった行動そのものではないか。

顔と足の違いはあるが、自分のプライドに囚われていると自分が身動きが取れなくなる。そこに行動が伴わないと、愛が冷え、冷めきった人間関係になってしまう。何の希望も情熱もない社会になってしまう。

功さんが、「ここにきて分かったことは愛が一番大切だという事」と繰り返し、喜美江さんに語ったということは、キリストの真理を悟った言葉ではなかっただろうか。

少なくとも私は昨日の喜美江さんの話しを聞きながら、強く神の愛の尊さをしみじみ感じた。
またしても大きな学びができた。

功さんありがとう。

貴重なメッセージ、良く分かりました。

私も実践の中から、それを確認していきたいです。  


Posted by 呉屋弘光 at 20:45Comments(4)お知らせ
 

2012年04月15日

訃報 与儀功兄召天す 享年46




与儀功さんは、与儀喜美江さんの夫で、長年病気療養中でしたが、先月の中旬より危篤状態となり、13日のPM11:49分に天に召されました。本日15日、本人の所属するワールドキリスト教会で、多くの参列者が見守る中、召天式が執り行われました。教会の召天式に参加するのは、初めてですが、一般の告別式とは違って暗さがなく、本当に天国に旅立つ人を、暫くの間、別れを惜しむような雰囲気を感じました。


私とは3年ほど前に、与儀喜美江さんの「おきなわルーツ紀行」の本を発行するようになってから知り合いました。私がキリスト教に関心を持ち始めたのは喜美江さんのキリストに対する信仰を通して、この人のいう神とはどういう神なんだろう、真剣に学ぶうちに少しづつ、キリストの福音が理解できるようになりました。本の発行に関しては、いつも喜美江さんに寄り添い、裏で喜美江さん強くを支えていたのは夫の功さんでることは、日を追うごとによく分かりました。

喜美江さんは、人が理解していようが、してまいが自分が理解した神のみ言葉を、正確に伝えようと全力投球するタイプの人ですが、功さんは相手の理解に応じて説明される方でした。私としては、キリスト教の知識が全く無かった為に、同じ男性同士で、キリスト神学を学ぶにあたって、とても参考になりました。

私が初めて「置換神学」という言葉を聞いたのも彼からでした。「置換神学」とは、ユダヤ人は神から選ばれた契約の民であるが、2000前に神がメシヤ(救い主)を送ったにもかかわらず、イエス・キリストを殺害することによって、選民としての権利を失い、選民としての役割はキリスト教徒に受け継がれた。だからユダヤ人は選民でも何でもなく、神の摂理はキリスト教徒が、ユダヤ人に取って代わって、その役割を果たすべきだ、とする考え方です。

この考え方が完全に間違えている事は、私もようやく理解できるようになりましたが、今の西洋キリスト教が完全に行き詰まっているのも、その間違いに気づいていないからだと思います。

功さんが、その西洋キリスト教の矛盾に気づき、奥さんの喜美江さんと一緒になって、今までキリスト教に見下されてきた沖縄の風習に光を当てたのも、本来のキリスト者としての歩むべき道を模索していたからだと思います。別に沖縄の風習を擁護せんがためにやっているのでなく、ユダヤと沖縄の風習が似ているから、そこにどういう意味があるのか明確にしたいとも話しておりました。

私も最近になって、ようやく彼の心意気が分かるようになりました。

召天式式次第の中に、功さんの略歴が次のように紹介されています。
1967年10月6日、父与儀誠孝、母紀子のもとに長男として小禄に生まれる。幼少の頃、具志頭村に移り住み、そこでのびのびと育つ。中学、高校では、生徒会長をつとめた。大学時代、友人を通して、聖書に出会い、洗礼を受ける。教会では長年、PA(音響)の奉仕をつとめた。2012年4月13日、11時49分、神様の恵みと平安の中で召天された。

功さんの冥福を心よりお祈りします。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:50Comments(3)お知らせ
 

2012年04月12日

二科会沖縄支部長西村貞男さんに書評を依頼しました



野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」より


昨日、野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」が入荷したので、二科会沖縄支部長西村貞雄さんにお会いして、本が出来た事を報告し、書評を書いてくれるよう依頼しました。野津さんは二科会の会員ではありませんが、二科会にも多数出展し、入選もしておられます。西村貞雄さんには、今回の本の最後に「野津唯市を語る」として、寄稿して貰いました。

野津唯市さんの風景画には、ほとんど人物が入っており、ストーリー性があるために画面構成が面白い、と話しておられました。

ストーリー性があるということは、描かれた一人一人に物語があるということです。

物語があるということは、互いがその人の立場、役割を理解し、ともに助け合って生きている、ということに他なりません。だから、野津さんは描かれている一人一人について、そして互いがどういう関係にあるのか、ひとつひとつ説明されます。その話を聞きながら絵画を眺めていると、自分の心の底に眠っている魂が揺さぶられるような感動を覚えるのだと思います。

野津さんの作品は、ほとんどが戦前の沖縄の日々の生活が描かれていますが、不思議なことに戦前の事を全く知らない若者にも、野津さんの話しを聞いていると、胸に迫ってくるものがあると言います。年輩の方が作品を見て、昔の懐かしい姿だと、胸に迫るものを感じるというなら分かりますが、それを知らない人が、胸に迫るものを感じるというのは、単なる郷愁の思いだけから来るのではありません。

それは「輝く命」「強い絆で結ばれた世界」を

ひとりひとりが感じ取るからではないだろうか。

「輝く命」「強い絆で結ばれた世界」は野津さんにとって、戦前の沖縄だったかも知れませんが、ひとりひとりには誰もが「絆で強く結ばれた世界」をもっています。

「絆」の字は、糸+半で出来ています。

糸には繋ぐ、一つにするという意味があります。

そうです!

人間には完全・完璧はいません。

どこか欠けています。

完全でいるのは神のみです。

人間は半分で半分で出来ています。
半分同士がひとつになって完成します。

本来なら、互いが互いを必要とするように創られています。

互いが互いを必要としていることを認め合った世界こそが
「絆で強く結ばれた世界」ではないでしょうか。

その時、お互いがお互いの役割を果たせるのです。

自分は今、何をすれば良いかを見出すのです。

そこに「輝く命」があるのです。

野津さんの作品ひとつひとつは、
「輝く命」を見失い、
眠っている現代人の魂を覚醒させる力があると
西村貞雄さんと話しながら、その思いを強くしました。  


Posted by 呉屋弘光 at 21:44Comments(0)野津唯市の画集
 

2012年04月11日

野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」、早速注文が入りました




野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」より


いや〜、ビックリしました。ブログに入荷したことをアップして30分後です。注文は東京からです。一人が2冊も注文しています。野津さんのファンは県内に止まらず、県外でも反響があることを知り、嬉しくなりました。画集は南城市玉城にある浜辺の茶屋、山の茶屋でも販売しています。

しかし、何故、野津さんの作品は、地域を越え、世代を超え、性別を超えて影響力があるのでしょう、色々と考えてみました。

この画集を最初に企画立案した、山の茶屋店主稲福米子さんの話されたことを思い出した。

「野津さんの作品は、若い人でもとても感動する。若い世代は、戦前の沖縄を知っている訳はなく、ただ単に懐かしいという思いで見ているはずではない。絵を見て感動のあまり鳥肌が立ったという人もいた。これは絵の背後にある何かを感じているからではないか」

私は米子さんのこの言葉は、いつも気になっていた。

どのような作品であれ、鳥肌が立つぐらい感動を与えるというのは、尋常ではない。実際、野津さんが出品する展示会場には、野津さんの作品の前に人集りができ、作品について色々な質問が飛び交う。野津さんの作品だけは活気がある。他者に追随を許さない強力なインパクトがある。

どうして、貴方の所にだけ人が集まるんだ、同僚からもぼやかれる。

私はここにきて増々、野津さんの作品のテーマが「命」を扱っているからだとの確信を強くしている。

「命」、「輝く命」である。

その源は「絆」である。

絆で強く結ばれてこそ、人は自分の存在意義を見出し、
さらに強い絆を求めて、互いが協力して助け合い
命が輝き出すのである。

今回の東日本大震災で誰もがこの「絆」の大切さを
かみしめたのではないだろうか。

親と子、妻と夫、家族、地域、日本全体、いや世界までが
世界はひとつであることを意思表示してくれた。

人はひとりでは生きられない。

いや、生きているものはすべてが
単独では存在しえない。

互いに助け合い、支え合って生きている。
それが本来の生きているものすべてのあるべき姿である。

野津さんの作品に描かれている世界も
その絆で強く結ばれた世界である。
それが我々の命の源である。

それで、私は今回の画集のタイトルの副題に
「和合…神・人・自然・暮らし」に入れるよう提案した。

それは、強い絆で結ばれた世界こそが本来あるべき姿であり
互いが互いを必要とし、助け合う世界
そこにこそ活力があるのである。
生きる力があるのである。

野津さんの作品から、多くの人が希望を与えられるのは
そこに生きる力が描かれているからである。

「絆で強く結ばれた世界」

それは野津さんの場合、たまたま幼年期で目撃した戦前の沖縄の姿だった。

しかし、人それぞれ「絆で強く結ばれた世界」を持っており
野津さんの作品が、その心の底に潜む魂の叫びを呼び起こすのであろう。

是非一人でも多くの人に見て頂き
各々の「絆で強く結ばれた世界」に触れてほしいものだ。

ちなみに和合とは、沖縄の神人の祝詞によく出てくる言葉で
調和、一体感(心をひとつにすること)を言います。「絆」を沖縄口に直した意味で使っています。

野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」は球陽出版のHPでも受け付けています。

http://kyuyou-shuppan.com/booklist/nozu-gasyuu.html  


Posted by 呉屋弘光 at 19:36Comments(2)野津唯市の画集
 

2012年04月10日

野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」入荷しました



野津唯市画集「懐かしい未来 沖縄」より


本日、画集がすべて入荷しました。発行は3月30日でしたが、3月は年度末にあたり、印刷所も製本所も込み合って、分納で先月半分だけ、本日残り半分が入荷しました。上記の絵画は本文34頁にある与那原の大通りを描いたものです。そこに生きている人達の躍動感が見る人に伝わってきます。


著者の野津唯市さんは1927年生まれ、10歳で東京から沖縄に転居、那覇市、それから大里村で育った。65歳で定年退職後から本格的に油絵を描き始めた。沖展、りゅうせき美術展、沖縄芸術美術展、名護市あけみよ展、那覇市民芸術展、二科展などにも多数入選している。

どの展示会場でも人集りができることで良く知られています。

何が人々の心を惹き付けるのでしょう。野津さんの芸術的なセンスもさることながら、私は野津さんの取り上げているテーマがユニークだからだと勝手に思っている。

そう!テーマのユニークさです。

野津さんが扱っているのは、単なる風景画、人物画ではないのです。そこに生きている「命」をテーマにしています。

「生命」です。

単なる命ではありません。

「輝く命」です。

人はただ生きているだけでは、「命」に輝きはありません。

人が生きているという実感を持つのは他との関わりで出てきます。

自分はこの人のために役に立っている、
必要とされているという実感があってこそ、
自分の持てる力を余す事なく発揮し、
生き生きとし、その命が輝きます

自分は誰からも必要とされてないと感じる時、
何の為に生きるのか、その希望を失い、
生きる気力さえ無くしてしまいます。

お互いがお互いを必要としている世界
これこそが、人々に生きる活力を与える源です。

まさに「絆で強く結ばれた世界」です。

野津さんの作品に魅かれるのは
人々がそのような強い絆で結ばれていた時代
それを彷彿とさせるからではないでしょうか。

現代社会は、ものは豊かになりましたが、
お互いの絆が年々薄くなっております。

お互いがお互いを必要としなくなっております。

現代人が抱える閉塞感も
詰まる所、自分がこの社会に必要とされてはないと、
勝手に思い込み、
互いの必要性を見失ってしまっているからです。

野津さんの作品は、この失いつつある「絆」を
呼び起こしてくれます。

明日から書店に並びますので
是非手に取ってみて下さい。

失いかけている「絆」を見出すはずです。

球陽出版のHPでも注文受け付けています。

http://kyuyou-shuppan.com/booklist.html

このブログを見て注文された方に限り、送料は無料でお送りします。
「ブログ見た」と一言添えて下さい。  


Posted by 呉屋弘光 at 19:42Comments(0)野津唯市の画集