訃報 与儀功兄召天す 享年46

呉屋弘光

2012年04月15日 21:50




与儀功さんは、与儀喜美江さんの夫で、長年病気療養中でしたが、先月の中旬より危篤状態となり、13日のPM11:49分に天に召されました。本日15日、本人の所属するワールドキリスト教会で、多くの参列者が見守る中、召天式が執り行われました。教会の召天式に参加するのは、初めてですが、一般の告別式とは違って暗さがなく、本当に天国に旅立つ人を、暫くの間、別れを惜しむような雰囲気を感じました。


私とは3年ほど前に、与儀喜美江さんの「おきなわルーツ紀行」の本を発行するようになってから知り合いました。私がキリスト教に関心を持ち始めたのは喜美江さんのキリストに対する信仰を通して、この人のいう神とはどういう神なんだろう、真剣に学ぶうちに少しづつ、キリストの福音が理解できるようになりました。本の発行に関しては、いつも喜美江さんに寄り添い、裏で喜美江さん強くを支えていたのは夫の功さんでることは、日を追うごとによく分かりました。

喜美江さんは、人が理解していようが、してまいが自分が理解した神のみ言葉を、正確に伝えようと全力投球するタイプの人ですが、功さんは相手の理解に応じて説明される方でした。私としては、キリスト教の知識が全く無かった為に、同じ男性同士で、キリスト神学を学ぶにあたって、とても参考になりました。

私が初めて「置換神学」という言葉を聞いたのも彼からでした。「置換神学」とは、ユダヤ人は神から選ばれた契約の民であるが、2000前に神がメシヤ(救い主)を送ったにもかかわらず、イエス・キリストを殺害することによって、選民としての権利を失い、選民としての役割はキリスト教徒に受け継がれた。だからユダヤ人は選民でも何でもなく、神の摂理はキリスト教徒が、ユダヤ人に取って代わって、その役割を果たすべきだ、とする考え方です。

この考え方が完全に間違えている事は、私もようやく理解できるようになりましたが、今の西洋キリスト教が完全に行き詰まっているのも、その間違いに気づいていないからだと思います。

功さんが、その西洋キリスト教の矛盾に気づき、奥さんの喜美江さんと一緒になって、今までキリスト教に見下されてきた沖縄の風習に光を当てたのも、本来のキリスト者としての歩むべき道を模索していたからだと思います。別に沖縄の風習を擁護せんがためにやっているのでなく、ユダヤと沖縄の風習が似ているから、そこにどういう意味があるのか明確にしたいとも話しておりました。

私も最近になって、ようやく彼の心意気が分かるようになりました。

召天式式次第の中に、功さんの略歴が次のように紹介されています。
1967年10月6日、父与儀誠孝、母紀子のもとに長男として小禄に生まれる。幼少の頃、具志頭村に移り住み、そこでのびのびと育つ。中学、高校では、生徒会長をつとめた。大学時代、友人を通して、聖書に出会い、洗礼を受ける。教会では長年、PA(音響)の奉仕をつとめた。2012年4月13日、11時49分、神様の恵みと平安の中で召天された。

功さんの冥福を心よりお祈りします。

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