祖先崇拝とユタ問題
スピリチュアルというブログのトップページに「35年間ユタをやっていて、キリストに出会い改心してクリスチャンになった」という謳い文句に引かれ、投稿された記事を読むと、これがなかなか面白い。本人のユタ時代の色々な体験談も紹介されており、私も去年の暮れに宮古バプテスト教会で洗礼を受けクリスチャンになった関係で、この方の信仰生活が知りたいと思い、オーナにメールしたらすぐに連絡がとれ、色々と話しを伺う機会を得た。
沖縄ではユタの力は根強いものがある。ほとんどの人が祖先崇拝を自分達の宗教だと信じている。そのため「ユタ半分、医者半分」という言葉が示すように、祖先崇拝の大きな支えになっているのがまさにユタの力である。
「貴方の何代前に不足がタチョンドー」(何代前の先祖の供養がなされてない)と言われ、ビンシー片手に拝み出かけ、先祖の供養をすることとなる。それが色々な災難・祟りから逃れる道だと教える。
しかし、元ユタだったこの方の話を聞きながら、キリストの神と沖縄人の考える神は全く違う神であることを発見した。
沖縄人は先祖崇拝の神も、天地創造のキリストの神も、同じ神ではないか、考える人が多い。
しかし、実際はそうではない。
キリストの十字架上での拝みと、ユタの拝みと方向性が全く逆である。
ユタが勧める拝みは、自分達に祟りが降り掛からないようにと祈願する。
キリストの祈りは、
祟りは全部自分一人だけに降り掛かって、
それを自分が喜んで受け取るから
他の人に祟り、呪いにかけないでくれ!
と祈願する自己犠牲の祈りである。
自分を犠牲にしても他の人を生かす。
それが神の愛であり、それを体で表現したのがイエスキリストの十字架である。
私も洗礼を受けるまでは
キリストの愛が何であるか
全く理解できなかった。
新約の福音が何を意味するのか
理解できるようになって
キリストの愛、天地創造の全知全能の神の愛が理解できるようになった。
元ユタの方の話しを聞きながら
謙虚に耳を傾けると、ユタの本来果たすべき役割が何か
見えてくるような気がした。
そこで、祖先崇拝・ユタ問題 公開講演会が開催されますので
関心ある方は、是非参加下さい。
祖先崇拝・ユタ問題 公開講演会
講師と演題
1、「なぜユタを信じるか…その後」
出版から30年後の所感
講師 友寄隆静
2、証言「闇から光へ」
なぜ私はユタからクリスチャンになったのか
ユタ歴30年余
講師 金城米子
日時:2012年2月26日(日)14:00〜16:30
場所:宜野湾セミナーハウス(☎898-4361)
参加費:無料(席上献金あり)
定員;60名
参加申込先:ぎのわんセミナーハウス
主催:那覇聖書研究会
協力:沖縄キリスト教センター
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