沖縄の「火の神」とキリスト教の「三位一体の神」
球陽出版の社章は人物をデザイン化した上に、∴のマークを配している。
この徴は沖縄の各家庭で祀られている「火の神」をイメージして作成したものだが、具志川のある牧師が『この「火の神」は、キリスト教の三位一体の神を表しているように見える』と言われた。
キリスト教の「父・子・聖霊という三位一体の神」と
沖縄の「火の神」が何か繋がりがあるのか
色々と関心を持つようになり
調べていくうちに、
沖縄の風習がユダヤ教・キリスト教と良く似ており
世界でも類を見ない
沖縄はユダヤ教とキリスト教が交わる島であると知った。
ユダヤ教の痕跡と
キリスト教の痕跡が
沖縄の風習のなかに隠されており
しかも沖縄の伝統文化の中には
「イチリバチョウデー(我々一人一人は全て兄弟、同じ親のもとにひとつである)」との考えが根強く残っている。
ユダヤ教とキリスト教も
もともと一つの神、唯一神、天地創造の神を崇拝している。
私は何故ユダヤ教とキリスト教が、なぜ分離してしまったのか
換言すれば
何故ユダヤ人たちは、人類の救世主としてきたイエスを殺害したのか
その原因を解く鍵が沖縄には隠されているように思えてならない。
だから
沖縄人は世界のどの民族よりも
ユダヤ教を正しく知り
キリスト教も正しく知り
それをひとつに繋ぎ合わせる
責任があるように思えてならない。
ユダヤ教とキリスト教には
大きな隔ての壁がある。
ユダヤ人はイエス・キリストに対して
考えられないほどの憎しみと怒りをもっている。
キリスト教はユダヤ人に対して
「キリスト殺し」の偏見をもって
ユダヤ人を徹底的に痛めつけて歴史をもつ。
その偏見と憎しみを取り除く役割こそ
沖縄人に課せられているように思える。
沖縄の「火の神」とキリスト教の「三位一体の神」を
どのように理解すればよいか
これから、ブログで情報をどんどん発信していきたい。